齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

愛国心とストックホルム症候群

国家とは、少数の悪人が多数の善人を支配するシステムです。国家は戦争において大量殺人を行い、徴税によって強盗をはたらきます。

 

しかし不思議なことは、どのような国でも「愛国者」が存在することです。

 

愛国者とはだれでしょうか? 統計的には、 IQが低いことがあきらかになっています。IQと収入は正の関係にありますから、愛国者は経済的にも搾取され、社会不安を抱えている層となります。

 

国家をもっとも憎むべきひとびとが、 国を愛している――これは一見「矛盾」ですが、ストックホルム症候群によって説明できるかもしれません。

ストックホルム症候群とは、誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、犯人との間に心理的なつながりを築くようになることをいう。
ストックホルム症候群 - Wikipedia

私たちは国家の人質なのか

私たちは捕らえられた人質なのだろうか。どういった点で、人質と似ているのだろうか。

アナーキストのブログで、ちょうどそのことを書いた記事があったので紹介します。

 以下、Stockholm Syndrome and the State - Government Denies Knowledgeから引用。

 

Grahamら(1994)の研究では、ストックホルム症候群が現れるために必要な4つの条件が示されている。 

第一に、犯人が被害者に本当の脅威を与えることにある。
第二に、被害者は外部の影響から隔離されていなければならない。
第三に、被害者は犯人から逃れたり、自らを守ることが全くできないと感じなければならない。
第四に、被害者は犯人からのある程度の思いやりを感じていなければならない。

 

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Cartoon art by Ramses Morales Izquierdo

 

条件1:加害者は深刻な、確実な脅威を被害者に示さなければならない。

政府は、まったく明らかだが、深刻で確実な脅威を市民に示している。米国政府は、核兵器によって明らかだが、地球上の人間すべてを何度も殺すことが可能である。

……ほとんどの近代戦争の被害者は市民だった。彼らはみずから戦争を望んだものではなかった。彼らが何を信じていようと、彼らの生命は支配層のエリートの決定によって決まるのである。


戦争から離れても、国家による市民への法的措置という脅威も存在する。法律に従わなければ、罰金や刑務所に入れられる恐れがある。


徹底的な暴力と残虐行為は、ますます「犯罪者」を抑圧するために用いられている。非常に多くの人々は、被害者のない「犯罪」をしていたり、そもそもまったく違法でもないのにかかわらず。これらの行為は間接的、直接的にマイノリティへと向けられている。 

条件2:被害者は逃れることができない

生まれた国から逃れることはコストがかかる。家族や友人から隔離され、仕事を犠牲にし、他の社会に慣れなければならない。

しかしそれでも、異なる国家の問題に過ぎない。もし人質が犯人から逃れることができて、他の犯人の人質となるだけだとしたら、それは本当に逃走と言えるだろうか?


……米国では、市民権を放棄するための手数料を450ドルから2350ドルに引き上げた。貧しい国民にとっては、選択肢を失うこととなるだろう。

 

「この国が嫌なら出ていけばいい」という主張はよく聞かれます。 

しかし、アナーキストにとっては「どこの国でも同じ」という現実があります。私もさんざん日本脱出を考えましたが、国家があって、警察、税金がある。これはどこも変わらないんですよね。 

条件3:被害者は、犯人を圧倒したり、自らを守ることができない

各々個人が巨大な力を持っていることを認めるが……しかし、個人は政権を奪い、もし国家があなた一人を選抜すれば、それはほとんど勝利と言えるが、そんなことは不可能である。例えば、警察から自分を守ることはほぼ不可能である。

 

エドワード・スノーデンを考えてみよ。彼はいかに政府がその権力と諜報を市民に対して乱用しているか、もっとも決定的な証拠をもって明らかにした。政府の反応(そして市民の反応も)極めて否定的なものだった。

 

この事件から一年以上、彼はモスクワに生活すること余儀なくされているが、アメリカの国家安全保障は寸分も後退していない。  

スノーデン氏、2013年に米司法当局により逮捕命令が出されてから、2018年現在もモスクワに住んでいます。亡命先を探し中だとか。国家に立ち向かうとやばいということです……。

 

条件4:被害者は犯人から「温情」を感じる

ほとんどの人々、強く政府の政策に反対する人々でさえも、政府を利益を与えてくれるものと見ている。

 

これは理解できることだ、国家は寛大で人々を助けていると演じる非常に多くの機能を実行しているからである。警察は罪のない人々の権利を他者の犯罪から守り、それに福祉や、安全保障などが存在する。これらは国家から人々が受け取る「利益」だ。これらの「優しさ」は、国家が肯定的な機関であるかのように人々を欺く。人質になにか食料を与えたり、稀には自由を与えるような犯人と同じく。

 

そしてアメリカでは、私たちが他の国々よりも相対的な自由を持っているということで、しばしば「優しい」と受け止められている。私たちはまるで、5フィートの手綱から10フィートの手綱に改善されたから有頂天になっている犬のようなものである。 

毎月十数万円搾取されている疲れ切った労働者が、経営者に「がんばってくれているな」と100円の缶コーヒーを手渡されれば、「なんて良い会社だろう!」と思ってしまうものです。

 

自民党は国民のことを考えてくれている、天皇は私たちを守ってくれている……そういう言説は非常に多く見られます。搾取され非常に貧しい生活を送っている人が、自国の社会保障や治安の良さを誇ることも、とてもよく見られることです……。

条件5:被害者は外の世界から隔絶される

この条件はもっとも理解が難しいだろう。北朝鮮のような場所であれば、比較は明確である。比較的自由な国であるアメリカのような国では、ずっと理解が難しくなる。

 

私はアメリカ人が人質と同じように外界から隔絶されているなどとは主張しない。私たちは他の国や文化と交流ができないわけではないのだから。

 

しかし、「アウトサイダー」たちは自らの国に課されているために、彼らは大部分が同じような状況にあると感じるだろう。このことは、「外部へのアクセス」が他の犯人の人質とだけ可能であることおw意味する。

 

想像してみてほしい。あなたが誘拐されて、外部との交流が、だれか他のサイコパスに囚われた人質に限られているとすれば、あなたはストックホルム症候群のような反応を示すだろう。

 

現代は、一部の支配階級を除けばほとんどすべての人が 国家の「人質」となっています。したがって、私たちは支配―被支配関係以外の「外の世界」を知ることができません。

 

ストックホルム症候群は、あらゆる支配―被支配関係に存在する

「被害者に、ストックホルム症候群という病名を付けることには反対する。これは病気ではなく、特殊な状況に陥った時の合理的な判断に由来する状態である。自分を誘拐した犯人の主張に、自分を適合させるのは、むしろ当然である。共感やコミュニケーションを行って、犯罪行為に正当性を見い出そうとするのは、病気ではなく、生き残るための当然の戦略である」 
ストックホルム症候群 - Wikipedia

 

とオーストリア少女監禁事件の被害者ナターシャ・カンプッシュは言っています。たしかに、ストックホルム症候群は病理的というよりは合理的であり、しかも限定的ではなく、普遍的であるように思われます。

 

ストックホルム症候群は実際のところ、誘拐事件にとどまらず、国家にもとどまらず、学校や会社、家庭などにも当てはまるのでは?

 

たとえばサイコパスの支配するブラック企業やブラック部活、ブラック家庭(と言うのかわかりませんが)では、ストックホルム症候群の条件――生殺与奪が握られている、外部の情報から隔絶されている、逃げることが不可能である、わずかな温情を得ている――を満たしています。

 

過酷な練習を強いる部活動に愛着を抱く。著しい低賃金で過酷な労働を強いる企業に忠誠心を抱く。自分を操縦しようとする毒親に、愛情を抱く。

 

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by amber offir

 

 

これらの一見奇妙な感情は、日本社会で非常に広く見受けられるのですが、実はストックホルム症候群なのでは?

 

支配―被支配のあらゆる関係に、ストックホルム症候群はあてはまるのかもしれません。

 

私たちは日常的に、「自らを縛りつけ、支配し、強奪する者」 を愛しているのではないでしょうか?

 

重力と恩寵 (岩波文庫)

抑圧もある段階に他すると、権力者は必然的にその奴隷たちから、あがめ奉られるようになる。そのわけは、他人の玩弄物となって、完全な強制に服していると考えるのは、ひとりの人間にとって堪えられないことだからである。そこで、強制からまぬがれるためのあらゆる手段も奪われているとなれば、もはやあとは、強制的に自分に課されてくるひとつびとつの事柄を、自分が自発的に実行しているのだと自分で自分に言い含めること、言いかえれば、服従を献身にすりかえること以外に手立てはない。そしてどうかすると、命じられているよりも以上のことまで果たそうと努力するのであるが、その苦しみは前ほどつらくはないのである。それはちょうど、子どもたちが罰として加えられたら辛抱できないような苦痛でも、遊んでいるときなら、笑いながらじっとこらえているのと同じ現象によるのである。このようなまわり道をしながら、隷属はたましいを堕落させて行くのである。(重力と恩寵/シモーヌ・ヴェイユ)