齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

なぜ世界は残酷なのか

 

gur********さん2014/10/401:59:15
なぜ世界はこんなにも残酷なのだろう。
学校では、見た目で決めつけて何かに特徴や個性をイジメの武器にする。
僕今まで、暗黙の了解って言うのがわからなかったんですよ。

イジメなんてどうせなくならないって皆は多分思っている。
いじめられっ子がいじめっ子に対して殴ったら他の子から非難される。

全員幸せになれば戦争なんて亡くならない。
だが、無理なんだきっと。

あるキャラクターはこう言っていた。「世界は残酷である」って...
本当だ。世界なんてそんなもんなんだ。
憎しみ、悲しみ、辛さ... これが亡くならない限り世界は戦争をし続ける。

楽しさってなんだろう、辛さはあるのに楽しさ嬉しさは出てこない。
どうしたら、世界は変わるんでしょうね。

典型的な回答。

for********さん 2014/10/402:09:06
変わるわけねぇだろ、バカが。

いつの時代も弱肉強食だ。破壊と再生の繰り返し。

てめぇみてぇな腑抜け野郎は、せいぜい底辺這いつくばって道端に落ちてるパンくずでも食ってろ。

なぜ世界はこんなにも残酷なのだろう。学校では、見た目で決めつけて何かに特徴... - Yahoo!知恵袋 より)

 

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残酷な世界に生きる残酷ではない私たち

私たちは残酷ではない。私たちは飢えている人を見ればご飯をあげたいと思う。病める人や困っている人を見れば助けたいと思う。いじめられている人を、守ってあげたいと思う。

 

人は言うだろう。それは見栄だとか、見返りを求めているのだと。しかし、困っている人を助けることは、私たちの本能である。他者を助けることは、私たちの心に「必要」なのだ。

 

だから、困っている人を助けたときには、お腹が空いているときにご飯を食べたときのように、感動的な満足感を得ることができる。

それでも、私たちは残酷な世界を生きている。

一方で、私たちは、「社会的弱者」に対して何も感じない。弱者は自業自得である。低学歴だから、能力がないから、がんばってこなかったから、ブサイクだから、生まれ育ちが悪いから……彼らがわずかな賃金しか得られず、世間から見下され、異性から相手にされず、孤独を噛みしめ、世を呪うとしても、「それはあなたの問題だ」で終わる。

 

それはあなたの問題だ――私は自分の問題で忙しい。私の家族と、明日の仕事で忙しい。とにかく、考える時間はないんだ。あなたにかまっている暇はないんだ。世の中のことを、苦しんでいる人のことを考える余裕など、これっぽちもない。

 

「やるべきこと」はいくらでもある。今日、私たちは100のことをしてきた。明日には100のことをしなければならない。それが、幸福になるための道だと言われているから。

 

私たちは綱渡りをしている。いったん、注意をそらせば、努力を怠れば、すぐさま転落してしまう。不安、恐怖、トラウマ、依存症。暴力、抑圧、支配。私たちは疲弊しきっている。豊かな国で豊かに暮らすために、貧しい生活で精神を貧しくしている。

 

残酷なシステムによって、人は残酷になる。 

現代のほとんどすべての人々は、物心がつく頃には学校へ詰め込まれ、大人となるとともにフルタイムの労働者となる。立ち止まって考えることは、特権的なことだ。でも考えないのはだれもが同じだ。言いつけを守り、言われたことをして、テレビを見て笑って、それで一日が終わる。「みんながそう」だから、疑問を持つこともない。

 

結局のところ、原因は悪にあるのではない。すべての問題は、無知にある。私たちは、自らの知性を刈り取られている。物事を真剣に考える能力や、何が善で何が悪であるかを考える能力が、システムによって刈り取られる。

 

私たちはみな、アイヒマンのように、否応なく構造に組み込まれている。私たちはそうしたいからそうするのではなく、そうする義務や必要があるからそれをする。単に習慣的に行為していたり、自分がしていることがわからないことも珍しくない。 

残酷なシステムが生まれたのは

現代資本主義に通じる「残酷のシステム」の系譜は、農耕社会に遡ることができる。およそ一万年ほど前だ。それより以前には、人間社会に「弱肉強食」は存在しなかった。(この点で、知恵袋の解答者は間違っている)

 

それまでの狩猟採集民の大部分は、ヒエラルキーがなかった。つまり、搾取がなかった。いじめや暴力もなかった。女性差別もなかった。

 

農耕社会は土地への定住と、高い人口密度、かなりの労働力を要した。このことは国家や奴隷制などの階級社会成立の直接的な原因である。

 

農耕社会から初期国家の成立、そして近代国家への移行は、グラデーションを成している。つまり、支配―被支配関係の途方もない拡大である。初期農耕社会は、人類の活動範囲における小さなシミに過ぎなかった。狩猟採集民はいぶかしがりながら、その奇妙な集落を避けた。国家としてのシステムが整うと、農耕社会は拡大していった。彼らは戦争を繰り返し、軍事力を増強していった。狩猟採集民はもはや、意識的に彼らを警戒し、避けなければならなかった。彼らはあちこちで狩猟採集民を殺したり、慰みものにしたり、さらって奴隷にしたからである。狩猟採集民は隔絶した山岳や、深い森に逃げのびた。

 

国家は急速に勢力を拡大していった。その到達点――近代国家になると、狩猟採集民の逃げ場はなくなってしまった。彼らは「国土」に住む「国民」となった。ほんの小さなシミが、ほとんど地球全体を飲み込んだのである。狩猟採集民はほぼすべて飲み込まれた。彼らは支配者となったものがいるが、ほとんどは被支配者になった。

 

私たちは、こうして、支配―被支配の関係ーーつまり、残酷な世界ーーに飲み込まれていった。

支配とヒエラルキーの起源 - 齟齬

おわりに:一万年前に思いを馳せる

私たちは、自分のなかのどこかに、他者への攻撃心とか、不誠実さ、不純な欲求を持っていると考える。そして、他人も同じだろうと思っている。だから、私たちは他人を、自分を、警戒しなければならないと信じている。

 

でも、私はそうは思わない。自分が善良であると信じているのと同じくらい、大多数の他者もそうであると信じている。また、私や、私の知っている人をいじめる人々も、基本的には善良であると信じている。

 

善人が善人をいじめる。だから社会はやるせないのである。

 

このような立場でいることは、つらいことである。私には、振り上げたこぶしを向けるところがない。

 

しかし、適切なところに振り下ろしたところで、何になるのか。社会が変わるとは思えない。社会を一万年前に戻すなど、途方もないことだし、実現不可能だ。

 

それでも、私は現代の「詐欺」から皆が目を覚ませば、不可能ではないと思う。

大いなる真理は大衆の心をつかむことがない。全世界が誤りに陥っている現在、私には真の道がわかっているにもかかわらず、いったいどうすれば道案内の役が果たせるのだろうか。もし私がそれに成功するのはとても無理だと知っていながら、それでも無理やり成功にまで漕ぎつけようとするならば、そうすること自体がまた誤りの元となる。とすれば、いっそ手をひっこめて、あがくのをやめてしまったほうがましだ。だが、この私があがき、努めなければ、誰がそうするだろうか。(荘子)

大げさかもしれないが、そんなことを思う。

 

「どうしたら、世界は変わるんでしょうね」。

 

みんなの目が覚めたら、なのかな~。みんなが、立ち止まって、しっかりと自分がいる場所、自分がしていることを自覚できたら。スピ界隈の言う、「アセンション」が起きればいいんですがね。

 

アセンションについて:アナーキズムとスピリチュアル - 齟齬