齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

日本人は勤勉ではなく、こき使われているだけ

フィリピン出身で介護施設で働く女性(29)は、遅刻に怒る日本人の友人との価値観の違いに疑問を持ち、「なぜ遅刻しないのか」を調べた。その結果、多くの日本人が電車やバスの時間、行き先を事前に調べ、5分前に約束の場所に着くと判明。「日本人は相手の気持ちを考えて行動する。その一つが時間を守ること。学校でその大切さを教わることも知った」と発表し、「相手への尊敬と思いやりを学びたい」と話した。

「なぜ遅刻しないのか?」 日本の不思議、外国人が発表 浜松|静岡新聞アットエス

 

一見なんてことのない記事ですが、強烈な違和感を感じませんか。

 

反論: 

  • 私たち日本人がほとんど遅刻をしないのは事実だ。
  • しかし私たちが遅刻しないのは、遅刻によってかなりの不利益(上司や同僚の冷たい目線、社内評価や人事査定への著しい影響)を被る恐れがあるからだ。
  • そこにあるのは「恐怖」である。
  • 「思いやり」や「尊敬の心」なんてない。

 

……「遠い国からはるばるやってきて、低賃金で過酷な労働環境の介護職に従事してくれる外国人を、遅刻しただけで『怒る』日本人に、思いやりや尊敬の心は一片も感じられない」って書いてくれたらおもしろかったのですが。

 

日本人論は「原因と結果」を取り違えている

このような「原因と結果」を取り違えた例は「日本人論」に多い。

  • 企業に良いようにこき使われること→「勤勉」
  • 上司など目上の立場の人間の侮辱や暴力、ハラスメントに耐えること→「武士道精神」
  • 抑圧に対して決して不平を言わないこと→「和の精神」

 

「日本人は集団主義」の誤謬 

これらと同様に、日本人は集団主義だ、とされています。日本は島国だからとか日本人は農耕民だからとか、大学の偉いセンセーによってもっともらしく語られます。

 

しかし、日本人は生まれつき集団主義なのではありません。人為的に集団志向の精神が植え付けられています。

 

たとえば体育祭。

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「抑圧された個人主義のレベルは悲壮なものだ。……生徒たちが完全なユニゾン(同一行動)によってトラックを行進する体育祭を見るに、アジアでもっとも成功した資本主義国というよりは、共産主義体制に近い」(元日本の教師のOliver氏*1

体育祭なんて風習があるのは日本だけです。「体育祭が好き」なんて言うのは一部の運動エリートだけで、大半は忌み嫌っています。

 

あとは、入学式や卒業式、遠足や修学旅行、一斉給食や身体検査、集団登校や集団下校、国旗掲揚や国家斉唱も日本だけにしかない風習でしょう。こういった風習のひとつひとつが集団主義の醸成につながっていそうです。

 

企業においても集団主義は刷り込まれます。カレル・ヴァン・ウォルフレンは、日本にしか存在しない「新人研修」を例にあげ、つぎのように指摘しています。

 

新入社員はみんな一斉に箒を手に道路掃除をさせられ、冷たい川につかり、あるいは山を行進して登らされ、屈辱的で、心身がへとへとになるようなことをやらされる。集団での徹底的な訓練や、互いに告白し合ったりと、文化人類学者ならこれぞ浄化、イニシエーションの儀式であると大喜びするような訓練の数々には、重要な目的がある。つまり軍隊の新兵訓練と同じで、個人の意思を打ち砕こう押しているわけだ。

さて、もし本当に日本人に「もともと」集団志向があるというのであれば、こんな訓練は必要ないはずだ

私たちに植え付けられる集団主義は、完成した労働者として育成されるまでのマニピュレーション(操作)によって実現しているということです。

 

日本人は集団主義という「神話」は、東大のセンセーによって否定されています*2

 

つまるところ、私たちは生まれつき集団思考なのではありません。丁寧に「個人主義」の芽を刈り取られているだけ。

 

なんのために?

 

ひとりひとりを拘束した奴隷と、全員をまとめて拘束した奴隷、どちらが楽か、という話です。

 

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  “A chain of slaves traveling from the interior.”(引用元

「国民」という誤謬

民族論は「原因と結果の逆転」にある、という考え方はRuthless Criticismというサイトの「National Identity」からです。かなり難解でほとんど読めないのですが、一部抜粋しておきます。

 

「国民nation」は、もちろんバカげており、簡単に論破することができる。言語、文化、歴史、文化史。ここにある間違いは簡単に名付けることができる。「原因と結果の逆転」。人々が自らの生活をひとつの、同じ政治的秩序の中で過ごしたという「結果」によって、人々が一つの政治秩序の元でなぜ一緒に過ごしたかの「理由」が宣言されている。ある政治権力への共通的服従の結果が、民族としての彼らの結束、団結、凝集の「原因」となっている。

Ruthless Criticismというサイト、たぶん著者はマルキストだと思うのですが、非常に優れた文章ばかりです。このような文章がネット上に転がっていることに英語圏インターネットの凄さを感じます。

 

これからも学んでいきたいです。