齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

セックスは過大評価されている

セックスは私にとって何でもない。私の頭の中ではとても良いものに感じる。でも、それが実際に行われると、まあ、映画でも観ていた方がいいかな、となる。前戯も同じだ。嫌な気分にはならないけど、よくもならない。前戯は……ニュートラルだ。(Cosmopolitan "Sex Does Nothing for Me"より)

 

「映画でも観ていた方がいいかな」。男女問わず、同様の感覚を持つひとは多いのでは。

   

ふと思ったのですが、セックスは過大評価されていないでしょうか? 男性も女性も、セックスをなにか特別なものと思いすぎではないでしょうか。

 

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mihály zichy

 

たしかに人生においてセックスは大きな意味を持っていると思います。でも、セックスよりも楽しいことっていくらでもあるよなあ、と思ってしまう。

 

セックスに否定的な文化が、セックスを特別なものにする

なぜセックスが過剰評価されるか。Quoraの「文化的に否定されるからだ」という答えがしっくりきました。

 Sex with women is overratedのEivind Kjørstad氏の回答。

セックスに重要性を与えているのは、セックスに対してネガティブな文化にあると私は考える。

 

セックスに対するタブーが弱く、少ない文化においては――セックスはただのセックスだ。セックスはほとんどのカップルが行うふつうのことであり、健康的で、喜ばしいことだ。それはクールだが、しかしそれ以上のものではない。人々はセックスを好み、毎日のようにする人がいるかもしれないが、他の人々はそれにとりつかれることはなく、セックスを一度もしないか、一度もしない。彼らが幸せである限り、どの選択肢でも良いのである。人生の他の部分には影響を与えないから。

 

……私の意見では、セックスをあまりに重要視することは、セックスに対する恐怖を生みだし、人生全体に悪影響を及ぼす毒となるように思う。

 

セックスに対する規制や禁忌がまず第一にあって、セックスに対する人々の執着は二次的なものということでしょうか。

 

こうして考えると、セックスは未成年者のタバコと同じです。高校生がタバコを吸うのは、喫煙が違法だからです。なので、未成年者の喫煙を辞めさせようと努力すればするほど、喫煙が魅力的になってしまう。

 

人は禁じられた事に魅力を感じます。禁じられるとは、機会を奪われるということです。機会が奪われれば、それを取り戻そうとするのが自然の感情です。未成年に対する性的暴行が起きるのも、それが法律的に禁じられているからでしょう。

近代社会とセックスの禁忌

私たちは、「近代になって性から解放された」と思いがちです。しかし、現代社会は、私たちが思っている以上にセックスの制限が極めて多いです。

 

たとえば学校は未成年からセックスを奪いますし、職場でのセックスは極めて制限されています。もちろんそれは完全に禁じられているわけではないですが、一般的にはタブーとされています。  

 

近代以前では、同じ共同体に属し、たがいに長い時間を共に過ごす男女は自然とセックスをしていたでしょう。農村でも、狩猟採集社会でも、性交相手に困ることはなかったはずです(たとえば、「夜這い」)。近代以前のセックスは、貴族などの一部のブルジョワジーを除けば「ふつうのことであり、健康的で、喜ばしいこと」であったはずです。

メディアとセックス

しかしながら、雑誌を開けば、テレビをつければセックスアピールに優れた男女が登場します。そこには「普通の男女」はあまり登場しません。一般的に、そういった場で用いられるのは「アイドル」や「芸能人」といった人々です。彼らはセックスアピールに関してはオリンピック選手級であり、身近には決していない「セックスモンスター」です。

 

メディアを通じて欲望はかきたてられます。私たちは彼らのようなモンスターを獲得するための、万人が勝ち目のない競争に巻き込まれます。ここでセックスは遠くのものとして理想化されてしまう。

 

その結果、普通の人との普通の性交には妥協感が残り、永遠に満足できなくなります。たとえセックスをしたとしても、本当のセックスはどこかにあるはずだ、という欠乏感にかられるのです。 

このあたり、「セックスレス」と関係があるかもしれません。

セックスが好ましくない人もいる

もっとも、禁止云々の前に、セックスに対する欲求が少ない人もいるでしょう。調査によれば、男性の15%と女性の34%以上がセックスに関心がないようです。*1 また、高いIQの人はセックスをしない傾向があるようです。*2 ソースがないのですが、低いIQの人が多産のため、世代ごとに1%IQが実質的に下がっているとする報告を以前見たことがあります。

 

クレッチマーもこう言っていました。

 

天才の男系の子孫がきまって速やかに死滅することは、もっともふしぎな生物学的事実のひとつである。われわれは多くの天才において、結婚せず子どものないこと、性欲の減退、性欲の倒錯などを見、あるいは強い性的衝動はあっても生殖意志が少ないという事実を認める。(「天才の心理学」)

ダーウィニズム的には、優れた知性の持ち主はたくさん子孫を持ちそうですが、現実にはそうなっていません。

 

セックスは、実際のところ高い知性の人には魅力的に映らないのでしょう。高級車や高級料理、高い社会的地位が魅力的ではないように。 

まとめ

セックスは現代社会は過大評価されています。

 

私たちは「セックスが人々に解放された」と考えがちですが、現実には「セックスが制限されるようになった」からかもしれません。

 

「セックスは過大評価されている」というテーマはもう少し考察したいです。女性のセクシュアリティの変化に触れませんでしたが、そちらも調べたいです。

 

労働は過大評価されています。資本主義や民主主義も過大評価されています。たぶん、セックスの過大評価はそれと同軸なのかな、と考えています。