齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

ゲームが楽しいのは「理想の自分」になれるから

ゲームの楽しさとは何か。

 

いろいろな要素があると思います。

グラフィック、ストーリー、キャラクター、BGM、システム、ユーザビリティ、難易度のバランス。

 

しかしゲームの魅力は、「理想の自分になれる」ということにあるようです。

 

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私の好きだったゲーム、ファイナルファンタジータクティクスより。

 

エセックス大学の客員研究員である、心理学者のAndy Przybylski氏の発言を引用します。

Why are games fun? asks psychologist

 

「ゲームは自分の理想とする自己を演じたり、それになる機会を与えられることによってより楽しくなるだろう」

 

「テレビゲームの魅力、ゲーマーを楽しませるものは、人々に自分の理想とする役割を考える機会を与えたり、ゲームを遊ぶことによってその役割が得られることにある」

 

「私は調査によって、ゲームをする人々が自分自身から逃げているのではなく、自らの理想に向かっていることに感銘を受けた。……彼らはどこでもないところに逃避しているのではなく、ある特定のところへ向かっているのだ。」

ゲームは自己実現

「ゲーム」というと、低俗、下品、幼稚、というイメージがありますが、実は「自己実現」と深く関係しているのかもしれません。

 

人生を無味乾燥に生きている人がゲームに興じるとしても、彼を責めることはできません。産業社会は、大半の人々をクソ仕事shitty workに従事させます。クソ仕事とは「刺し身にたんぽぽをのせる仕事」に代表されますが、高学歴のエリートがしている仕事も大半はクソ仕事です。「こんな人生は私の人生ではない」と彼らが言うとき、「それは間違っている」と言えるでしょうか?


私たちは、クソ仕事に人生を費やします。子どもたちは、クソ仕事に就くために訓練されます。彼らがゲームに逃避することは責めることができませんし、もしゲームさえしなくなったとしたら、より事態が悪化しているようにさえ思われます。

 

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Armored Core - Last RavenのOPより

 

日本はかつて世界一のゲーム大国でしたが、その理由にはあまりに人生の空虚さが蔓延していたからかもしれません。

 

ゲームと性善説

なぜゲームの話をしたかというと、性善説を証明するのではないかと思ったからです。

  • 子どもたち/大人たちはゲームが好きです。
  • 子どもたち/大人たちはゲームで主人公を通じて自己実現します。
  • ゲームでは主人公は善で、敵は悪です。
  • 人々はみな善人となることを求めているのではないでしょうか。 

性悪説が事実なら、はじめから残虐・暴力的露悪的なゲームが流行しそうなものですが、そうなってはいません。

 

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「アバタール・チューナー」より

 

人々は善人となることを求めています。しかし、現実には悪を攻撃できません。学校を思い出せばわかると思うのですが、「悪い教師」「悪い生徒」はほとんどの場合、処罰されません。会社の「悪い経営者」「悪い同僚」も同様です。

 

だから、ゲームの中で悪と戦うことによって、自分を取り戻しているのではないでしょうか。

 

ゲーマーやゲームという文化を再認識する必要があるかもしれない、と思います。