齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

少数の悪人が多数の善人を支配する国家システム

金銭を愛するは諸般の悪しき事の根なり。(『新約聖書』-テモテへの手紙一6章10節)

 

人間は基本的に善良だ――というのが私の考えです。

 

人は悪だ」という考え方は国家主義者や資本主義を肯定します。

人は善だ」という考え方はリベラル思想やアナーキズムを肯定します。

 

私はアナーキストですが、しかしアナーキズムというのは性悪説でも成り立つと考えています。

 

A.C. Glasierという人の「人間は邪悪だからアナーキズムは成り立たない!」という記事より引用してみます。彼は文章家のようですが、詳細は不明です。

Anarchy Can't Work Because People Are E-e-evil! -

 

アナーキストは人間の邪悪さや愚かさを過小評価しすぎだと言われている。国家は人間の悪を管理する上で必要だという主張である。しかし、もしも人間が悪ならば、そのことは国家を解体するより大きな理由にならないだろうか? 人間の悪を考えたときに、4つの可能性がある。

 

・邪悪な人間はいない
・邪悪な人間が多少いる
・ほとんどの人間は邪悪である
・すべての人間は邪悪である

 

どれが真実であろうとも、国家を廃止するのは正当である。

 

道徳相対主義者で、悪の存在を受け入れないのではない限り、即座に最初の立場は排除できる。邪悪な人間は明らかに存在する――たとえばFacebookにあなたを連行し、夕食中に電話をかけてくる奴がいる。もし邪悪な人間がいなければ、国家の存在は正当化されない。


おそらく、人口の一部は悪への傾向があるだろう。良い人間はふつうの生活に満足を見出すが、邪悪な人間はほとんど常に権力に引きつけられる。

 

したがって、邪悪な人間が国家に集中する可能性がもっとも高く、彼らは大多数の善良な人間を搾取するために、自らの権力を利用する。これが私たちにとって最悪で、しかも可能性の高いシナリオである。

 

もしほとんどの人間が悪であるなら、私たちは国家が邪悪な人間によって導かれると再度想定することができる。もし少数の善人が過半数の悪人を支配するならば、悪人がその悪を武器にして下剋上するだろうから、力を保持することは考えにくい。だれも、かつて一度も良い人間が悪い人間を支配する国家に成功しなかったことは、人間の歴史のもつ悲劇の物語である。

最後に、もし人間が悪ならば、国家は明らかに悪を止めることができない。私たちはみな死ぬべきだろう。

 

Glasierは以下のように続けます。

 

アナーキストユートピアを求めているのではない。私たちは人々を良心の天使だと考えているのではない。そうではなく、人々は自己中心的に、破壊的に生まれたのではないということを主張する。もしだれかに銃を与えて、見知らぬ人を撃つよう命じても、彼らはそうしないだろう――そう教え込まれていない限り。これが戦争の心性だ。国家のエージェントである警察と兵士以外のだれが、他人を殺すことを独占的に許可されているだろうか?

 

……アナーキズムは「無法」を求めるのではない。「支配者の不在」を求めるのだ。

 

少数の悪人が多数の善人を支配する

私は「少数の悪人と多数の善人」というスタンスなのですが、彼の意見には大賛成です。

 

国家というのは明らかに、権勢欲の強いろくでもない人間によって素朴に生きている善良な多数の人々を濫用abuseしているという構図が存在しています。

 

WW2中の日本では、末端の兵士よりも、国家中枢が腐っていたことは明らかでした。「わだつみのこえ」に遺書が載せられているような学徒兵よりも、はるかに昭和天皇や陸海軍の幹部が死ぬに値しました。現代でも、明らかにブラック企業で過労死する底辺層より、経営者が死ぬべきだと私は考えています。

 

政治家になる奴とか、偉くなろうとする奴は基本的に悪人です。だって、他人を支配しなければ自分の人生を満足させられない奴らですよ。迷惑千万、邪悪そのものです。

 

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(Vasan Sitthiket)

 

国家とは、邪悪な人間が好き勝手するためのものです。私は邪悪な人間が存在するのはしょうがないことだと思いますが、彼らが好き勝手に善良な人間を支配することについては反対します。