齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

昔の人はクソ国家から好き勝手逃げだしていた

昔の人たちは、国家が腐敗したら逃げだしました。

 

重税でほとんど食べられないとか、負け戦に死んでこいと言われたら、「アホくさ、やってられんわ!」と逃げました。

 

そもそも国家とは、なんらかのメリットがあるから人が集まるものでした。王宮での特権的地位とか、貿易ができるとか、安全な場所や安定した生活が魅力的に感じるようなひとびとが国家に集まりました。

 

国家は徴税や徴兵しますから、国民は一種の隷属的状態に置かれます。そういった対価が必要なのです。*1

 

 

優れた為政者の国は人気が集まります。しかし横暴な君主や、もうろくした為政者のいる国に残るのは、いまさら地に足の着いた生活に戻れない支配層と、逃げられない奴隷だけでした(初期国家の人口の大半は奴隷だったようです)。

 

そんなわけで、国家は滅んだり栄えたりを繰り返しました。民が離れれば国は滅びるしかなかったのです。

 

でも民は国家なしでも生きていけました。だって、食べ物も衣類も住居も自分たちで作ってましたし。

 

そもそも人類の歴史上、「国家」という社会構造が生まれたのは数千年しかないのです。

 

←この本、最近でいちばんおもしれー本です。 

紀元前のほぼ全期間において、つまり人類史の最後の1パーセントの時期に至るまで、人類の社会景観を構成していたのは親族を基とする簡素な自立的集団であった。これらの集団は、狩猟、饗宴、貿易、戦闘、和平を目的として、互いに協力することもあった。しかし、そこには国家と呼べるようなものはいっさい存在しなかった。言い換えれば、人類史のなかで国家構造のない状態で生きることこそが人間の標準的な状態であった、ということだ。(「ゾミア―― 脱国家の世界史」/James C. Scott)

私たち人類はほとんどの時代、国家なしに生きてきました。国家とは人類にとって、いくらか不自然なものだと言えます。 

 

「民主主義」なんてめんどくせー概念のない昔のひとたちは、クソ国家や落ち目の国からすたこらさっさと逃げだしました。別の国家に逃げることもあるし、国家の支配の及ばないところに逃げることもできました。

 

逃げる先は「山の生活」 

昔は、国家の力が及ばない領域はたくさんありました。たとえば険しい山岳地域がそうです。鉄道も自動車もない時代、行き来するだけで三日も四日もかかるところをわざわざ支配しようと思いませんし、そもそも地図も何もないので、あの山の向こうに人が住んでるらしいけど見たこともないや、という感じだったでしょう。そういったところは「支配フリー」で、非国家的な空間が構築されていました。

 

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日本でも、近世史でよく「重税に苦しんだ農民」と言われますが、逃げて山の生活をしたり、漂流民の仲間入りする人はけっこーいたと思います。なんせ山が多い国だからね。「日本が嫌なら日本から出て行け」「ほな出ていきます」で終わる世界だったのです。

 

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平家の落人が逃げ延びたとされる秋山郷

 

東洋でも西洋でも、昔から「山は恐ろしいところ」でした。霊が宿るとも言われ、天狗や妖怪、山姥が住む、タヌキやキツネが化かすといったことは近代以前には信じられていたことです。たぶんそれは山に住まう人々の常民に対する警告だったのでしょう。

 

現代では妖怪の話はとんと聞きませんが、それは山の民が絶滅したことを意味しています。

  

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網野史観の強い影響を受けた「もののけ姫」。王朝から逃げ延びたアシタカの部族は、険しい山岳地域に暮らしていた。

 

国家の外で生きることができたら……

国家の内部に生きるのか、外部に生きるのか。それともその中間部に生きるのか国家という政治形態が隅々まで行き渡っている現在の私たちは忘れがちだが、人類史の大部分においてこれらは現実的な選択肢であり、人々は状況に応じて対応を決定してきたのだった。(同)

 

非国家的な場所での生活がどんなものか、想像したら楽しくないですか?

 

税金がないんですよ。役人や警察がいないんですよ。学校に行けとか、賃労働しろとも言われない。戦争は基本的にありません。他の民族や国家が攻めてきたら逃げればいいだけです。

 

保育園落ちた日本死ねと言う必要もないんです。子育てはみんなで助け合ってやりますし、生活に必要な分だけ働きますので、サービス残業や低賃金もありえません。

 

自分たちで何もかもしてしまって、将来どうするかも自分たちで決めるんです。

 

楽しそうじゃないですか?

 

 

しかしながら、現代では、国家の支配から逃れることは不可能です。私たちは納税で搾られつづけますし、いざとなれば徴兵されるかもしれません。

 

ただ、精神だけでも独立を保ちたいものですね。国家なんてわずかにしかなかった時代、人類の大半はアナーキストだった、ということもできます。ある意味でアナーキズムとは、人間精神の純潔を保とうとする試みなのかもしれません。

 

*1:そういえばNozickという哲学者は「税制は奴隷制である」と主張してましたが、ほんとそうです→徴税は奴隷労働である―Nozickの議論 - 旧齟齬