齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

隠遁生活が与えるもの

ツァラトゥストラは、三十歳になったとき、そのふるさとを去り、ふるさとの湖を棄てて、山奥にはいった。そこでみずからの知恵を愛し、孤独を楽しんで、十年ののち倦むことを知らなかった。しかしついにかれの心の変わるときが来た。……(ツァラトゥストラはこう言った 氷上英廣訳)

隠者シリーズ続き。

 

昨日はずいぶん的はずれなことを書いてしまったな、と思う。隠者や隠遁志向の人の中には、「美女や10億円や名誉はいらん、わしゃ孤独に引きこもりたい」という人はかなりいるはずだし、私はどちらかといえばそういった人びとの感性が理解できる。家賃5000円の彼は、ちょっと特殊なケースだったかもしれない。

 

もう少し違った面から考察してみたいと思う。

他者との関わりは、必要である

私は孤独となるよう生まれついている。社交は私にとって害悪でしかないのだ。

 

と考えるような人がいるかもしれない。「他者との付き合いは無駄だ」というような考え方は、哲学書や密教的な宗教書に散見されるし、世間でもそういうスタンスの人がたまにいる。

 

巷間の「心理学」では、「外向的人間は社交から、内向的人間は孤独から充電する」と言われている。しかし、これは嘘だ。現実には、内向型も社交から充電している。ただ、内向型は少しの社交で足りるし、それ以上は煩わしいというだけなのである。

 

あらゆる人は他者に認められることや、良好な関係を築くこと、好意を持たれたり愛情に触れることが必要である。社交への欲望は食べ物や異性を求めるように自然であり、本能的である。このことは、ほとんどの高等動物が群れで暮らしており、社会を形成していることを考えると理解しやすい。

 

隠遁生活は不自然な状態といえる。それは息を止めているようなもので、いつかは呼吸を再開しなければならない。つまり、隠遁生活は本質的に持続困難unsustainableであり、永続的なものというよりは一時的、あるいは断続的になる定めにある。

 

それでも隠者が引きこもる理由

隠者は苦しい状況におかれる。恋い焦がれた孤独だが、今度はそれにさいなまれることもある。社会的には死んだも同然で、生活の不安もある。それでも彼が引きこもろうとする理由はなにか。

 

それは目的があるからだ。孤独でなければできないことがあるからだ。研究や創作に没頭したいとか、真理や霊力を得たいとか、そういった目的があって引きこもる人がいる。社交や世間の喧騒が精神を乱すことは大いにありうるから、彼らが引きこもることはまったく正当だ。

 

もちろん、はっきりとした目的がない場合がある(そちらの方が多いのかもしれない)。「なんとなく隠遁したい」「理由はわからないが、隠遁がどうしても必要だ」という状態がある。

 

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20代半ばの私もそうだった。とにかくすべての社交にうんざりして、世間の人びとを突き放して、孤独に本を読むことがもっとも必要なことだと考えていた。そのときの私は読書がおもしろくてたまらず、隠遁生活を人生の理想と考えていた。ソローの「森の生活」に憧れて、安い土地や空き家を探し回ったこともある。

 

孤独に生活する間、いろいろなことを学び、発見したが、最終的に私は隠遁生活を辞めることにした。そして私は自分のためだけに書いていたブログを、他者のために書こうと決めた。世の中にはかつての自分と同じように生きづらさや不条理、苛立ちや虚無感を感じているひとがたくさんいるに違いない、と考えたのである。

 

私は孤独のなかで、文章でだれかの役に立ったり、助けることが好きだと気づいた。そういうことを隠遁生活は教えてくれたのだった。

 

それまでの私は自分が何を求めているのか、何がしたいのか、どうありたいのか、そういう基本的なことをまるで知らなかったのだ。

  

  

われわれは、自分の本性に適合している特定の仕事に召されているのである。それから逃避すること、それを恐れること、不熱心になること、それに関してアンビバレントになることは、すべて古典的な意味で、「神経症的」反応である。それらは、不安や抑止を作りだし、古典的な神経症を生み、あらゆる種類の心身症的徴候や犠牲が大きく無意味な防衛を生ずる意味で病気と考えられてよいのである。(マズローの人間論/エドワード・ホフマン)

 

隠遁生活は目的ではない

自分の話が長くなってしまった。結論として私が言いたいことはこうだ。隠遁生活はそれ自体が目的とはならない。それは手段だ。

 

私はかつての自分のように、知恵を求め、隠遁しようとする多感な青年が大好きだ。それは、いつの日か豊かな果実をもたらすからである。しかしもし彼が種のまま地中で終わるとしたら、私は彼を愛せないだろう。

 

「……見てください。あまりにもたくさんの蜜を集めた蜜蜂のように、このわたしも自分の貯えた知恵がわずらわしくなってきた。いまは、知恵を求めてさしのべられる手が、私には必要となってきた。
私は分配し、贈りたい。……満ち溢れようとするこの杯を祝福してください。その水が金色にかがやいてそこから流れだし、いたるところにあなたのよろこびの反映を運んで行くように! ごらんなさい! この杯はふたたび空になろうとしている。ツァラトゥストラはふたたび人間になろうと欲している」
――こうしてツァラトゥストラの没落は始まった。

こんな感じで、孤独から豊かなものを持ってきてくれればいいな~と私は思う。 

 

まだ書き尽くしていない感じがあるので、隠遁についてはもう少し考えたいと思う。