齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

複雑な文明人、単純な自然人

キリスト教的な「弱い奴や病んだ奴が偉い」的な考え方は誤りで、「他人に使われる」ことが美徳になるような労働倫理も間違いなのだと思います。

 

社会はあらゆる方面から個人を無能だと決めつけます。学校は「お前は無能だ」と言いますし、会社も「お前は無能だ」と言います。家庭、病院、マスコミ、司法、すべて個人を無能化させるために機能しています。

 

つまるところ、国家というのは毒親じみてまして、「あいつを放っておいたらろくなことにならない」という名目でひたすら他者を取り込み、同化し、支配しようとするものであります。

 このように、われわれの全教育――宗教的、歴史的、法律的、社会的の全教育は、人間がもしも彼らだけで放置されるならば、野獣に堕してしまうという思想によって浸透されている。権力がなくなれば、人々は互いに咬み合うであろう。「群衆」から期待され得るのは、ただひとつ、獣性と万人に対する各人の闘いあるのみだ。これらの群衆は、もしも彼らの上に選ばれたものたち――僧侶、立法者、裁判官、ならびに彼らの助手である警官と死刑執行人がいなかったならば、必ずや滅び去ったであろう。万人に対する万人の全般的戦闘を防遏するのは、彼らにほかならない。そして同様に、彼らこそが、人々を教化して法律を尊重させ、規律を学びとらせ、人々の「強情な心中に」高尚な観念が発達して、いつの日か鞭と牢獄と絞首台とが、今日よりもその必要を減じるようになるまで、人々を厳格に指導するわけである。
クロポトキン「近代科学とアナーキズム

 

無知蒙昧な大人たち

近代国家においては、信じられないほど子どもじみた大人たちが生まれます。自分で人生を左右することも、手を止めて考えることもできない人。だれかの考えを援用して、自分が何を求めているかを知らない人。何も知らず、何もできず、労働と消費以外のすべてを知らない人。50歳、60歳となって老人じみてきたのに、精神的には15歳の子どものように愚かな人。

 

私が彼らを見て想起するのは、養鶏所のにわとりです。 食べて、生産して、寝て、食べて、生産して、寝る。まさに理想的な生産者といえます。

 

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こういった人は底辺層だけではなく、社会の上層にも多いのです。

 

強い人間がすばらしい

物事は単純に考えてよいのです。自分がしたいことをする。やりたくないことはしない。これだけです。好きなものは好きと言い、嫌なものは嫌と言う。自然人的なスタンスです。

 

このような視点では、病んだ人や貧しい人が救われるということはありませんし、一見幸福に見える人(お金や地位のある人)であっても、実態としては非常に不幸な人が多いのです。

 

 

 
幸福とは、真の問題、真の課題に関わって真の感情を体験することだと定義しなおしてよいだろう。 
 ……
究極的な心の平安を願うなら、音楽家は音楽を、画家は絵を、詩人は詩を書いていなければならない。人は自分のなり得るものになる必要がある。
(「マズローの人間論」/エドワード・ホフマン)