齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

オートバイの修理をしました

今日は本を読む予定だったのですが、バイクの部品がようやく届いたのでメンテすることにしました。

 

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この状態でずっと放置していました。

サスペンションを新品にします。

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白色が眩しいです。「ボロバイクに新品はもったいない」という声が頭のなかでこだまします……。でも走りの要なので。グリスをべたべたつけて組み上げます。 

キャブ調整 

三葉虫並に時代錯誤ですが、キャブ・セッティングをしてやることにします。といってもニードルクリップを下げるだけです。キャブを外さなくてもできる作業です。親切設計。

 

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キャブをほじくる。

 

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ニードルクリップ。薄すぎて抱きつき寸前なので燃調濃いめにします。もう春なんですけどね。3番だったのを5番目にしたらおもしろいくらい吹けないので4番目にしたらばっちりでした(画像は5番目です)。

 

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そんなわけで乗り心地が新車みたいになって、エンジンがもりもりトルクになったTWくんでした。

 

メンテは楽しい

世の中にはオイル交換さえお店任せという人がいますが、バイクのメンテを自分でやると楽しいです。私は全部自分でやってます。

 

自分でやると、お金はほとんどかかりません。今回のサスペンション交換は、「2りんかん」で頼むと1万円くらいかかるようです。ニードルクリップ調節も3000~5000円くらいはとられるかな? アホくさいです。

 

以下は社会学的な考察というかめんどくさい話です。

 

 ←この本は、個人的に唯一無二です。とにかく独特。

 

 私がどんなにオートバイのメインテナンスの価値と重要性を説いても、声がかれるだけで、彼には少しもこたえない。一言でもバイクのことを口にしようものなら、彼は完全にそれまでの意気を失い、話題を変えてしまうか、目をそらしてしまうかのいずれかである。メインテナンスのことなんか耳にもしたくないのだ。

 

 この点については、シルヴィアもまったく同じである。実際彼女のほうがずっと頑固でさえある。話が深刻になってくると、彼女は「意見の相違ね」と言ったり、またそれほど考え込むような場合でなくとも「つまらないことだわ」などと言ったりする。彼らにはバイクのメインテナンスについて知ろうとする気は全然ないのである。そればかりか聞く気すらない。私にとって興味ある機械いじりを、なぜ彼らはそうまでしていやがるのだろうか。

(禅とオートバイ修理技術(上)/ロバート・M・パーシグ)

 

 バイクの整備は、部品とサービスマニュアルと工具さえあればだれでもできます。それはだれでもできるように作ってあるからです。バイクは「専門家にしか直せない」ようなものではありません。途上国のちゃらんぽらんなシャブ中メカニックにも直せるよう作られています。

 

バイクは店頭で買うものです。Amazonでぽちっと買うわけにはいかない。メカニックが販売担当者でもあるわけで、「整備がめんどうなバイク」は売れないのです。だから、(特に日本メーカーの)バイクは企業努力によってすごく「親切設計」になっています。整備は簡単なのです。

 

でも、世の中のほとんどの人はバイク屋にバイクを任せて、大金を払っています。これはなんでかというと、「自分にはわからない」「自分では直せない」と思い込んでいるからです。

 

これは一面では本当ですし、私もそう思っていました。でも、そんなことは当たり前。何事もはじめはそうなのです。泳げるようになるまでは泳げません。自動車の運転でもそうです。もっと遡れば、立って歩くこと、言葉をしゃべることもはじめは「できない」ことだったはずです。

 

バイク屋さんはこう言うでしょう。「素人が触っちゃダメなんだよ!」「プロに任せるのが一番」というように。でも、これはたぶん本心ではないです。本心では、バイク屋さんも「こんな仕事、だれでもできるよな……」と考えているはずです。「良いメンテ」はバイク屋さんにしかできないですが、日常乗るのに不便ない「最低限のメンテ」なら、素人でもできるのです。

 

ちなみに、私は「バイク屋はぼったくりだ」と言いたいのではありませんし、バイク屋にきた客に「自分でやれ」と追い返せというのではないのです。そんなことをしたら潰れます。

 

ここで考えているのは、社会構造と、自分で整備しない人のメンタリティです。自分を一種の無知、無能だと考え、他者に何もかも委託してしまう人のメンタリティ。

 

考えてみると「素人がクビを突っ込んだら、大変なことになる!」というような説得は、別にバイク屋さんに限った話ではないのです。世の中にはいろんな専門職があります。法律は弁護士、医療は医者。科学は科学者。治安は警察。間接民主主義の現代では、代議士。行政なら官僚。教育なら教師。

 

彼らのような専門家は、(大半は無意識のうちに)自らの権益を守ろうとします。自分の持っている知識は特別なものであり、自分は特別に有能であり、自分の仕事は有用だと感じていますし、それをメディアなどの媒体で主張します。

 

実のところ、あらゆる専門家はこのように自分の知識を特別と思い込み、自分を特別に祝福された存在だと思い込み、専門家以外の人間は自らの知識や技能にたどり着けないと考えています。

 

そのようにして現代社会は成り立っています。こういった社会で起きることは、ほとんどの人は、自分は何も知らない、何もできないと考えるようになることです。なにか問題が起きたら、人に頼り、任せなければいけない、と考えています。

 

これは近現代特有の現象です。

 

<必要>は歴史的には特権的少数者から多数消費者に移り、ついで専門家集団が決定していくものへと転じた。この<必要>の変身の過程で、サービス制度が多数者のために確立されていった。個人がそれを選んでいた段階から、専門家集団がそれを義務的におしつけるものに変化した。今や<必要>が定義されて、それに向かって馴らされるからである。(学校・医療・交通の神話/イワン・イリイチ 山本哲士)

 

「(消費者となった――訳者)人々は物事を自らなすdoというよりもそれを得ようgetとする。自らが創造しうることではなく、購入されうるものに価値をおくように訓練される。自ら学び、自ら癒し、自分で道を進むよりも、教えられ、動かされ、治療され(取り扱われ)、ガイドされるのを欲する。人格でない諸制度が人格的な機能を割り当てられるのである。」(同:イヴァン・イリイチからの引用)

 

一言で言えば、こうです。知=権力です。

 

何も知らないという境遇にあるということは、権力関係において下位に位置する、ということです。とにかく、「お前にはできない」「お前は何も知らない」というような抑圧には、警戒し、対抗すべきです。

 

その点でも、アナーキズムってのは最高です。自分のことは自分で考え、自分でやりとげるのですから。自分のことを自分でやっていくと、能力がつきます。知識がつきます。1人で生きていけるようになります。それは支配から免れることなのです。

 

なんだかまとまりがつかなくなってきたので今日はここまでにします。まーとにかくバイクってのは最高です。大好きです。