齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

「日本を出て。人生を無駄にしないで」

信じて欲しいのだけど、私は非日本人の親を持つ、日本生まれの日本人。これまでの人生の半分を日本で過ごしたけど、あやうく自殺するところだった。日本を出て。人生を無駄にしないで。もっといい住処があるから。日本には旅行者として楽しめばいい。(Living in Japan will make you hate it - J.J. McCulloughコメント欄より)

 

日本で漫然と暮らしていると、生きること、それがすごく窮屈なことに思えてくる。

ああしなければならない、こうしなければならない。私はこうあるべきだ。こうならなければならない。

 

日本の会社員のみなさんは、お疲れ様です。ほんとうに大変だと思う。あと「ママ友」を演じているお母さん。ご苦労様。学校というサイテーなところに通っているボーイ&ガールも、ご愁傷様。早くシャバに出れるといいね。


みんな、人から疎外されることを恐れている。仲間はずれはだれだって怖い。人から嫌われたら生きていけないのではないかと恐れている。そして実際、嫌われたらすべてがおしまいのような社会になっている。

 

私は「人から嫌われないようにしよう」と考え、一生懸命好かれようとふるまっている人を見ると、表に出さないが、すごく悲しい気持ちになる。彼/彼女は、そのままの自分を一切受け容れられずに育ったんだろう、と。

 

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映画「告白」より


そういう人にとって、世界のすべてが息苦しく感じられるかもしれない。死にたくもなるだろう。

 

でも今いる空間、コミュニティって、ほんの小さな片隅でしかない。家庭も、学校も、職場も。ほんとうに小さな空間で、ほんとうに僅かな人しかいない。

 

世界はもっと広い。


私も同じだった。最近まで、生きづらさ、息苦しさに非常に悩まされてきた。

 

そんな私を救ったのは、「知識」だった。私は大学生だったあるときから、読書に没頭した。

 

知識は距離的な横軸と時間的な縦軸を持つ。 かつての人はどう生きたのか、何を考えて、何を幸福と考えてきたのか。いま、外国の人は何を考えているのか。第三国の田舎や、原始的な生活をしている人はどう生きているのか。

 

そういうことを知るにつれ、いま自分がいるところを相対化できるようになった。相対化とはどういうことか。自分がおかしいのか、それとも片隅が異常なのか、判断することができるようになるということだ。

 

結局、不幸は無知の産物なのだ。

 

人が「死にたい」と思うとき、だいたいその人は単なる正しい人間である。これはとても想像しにくいことだけど、死にたいと思う人に問題があるのではなく、それ以外の人、周りの人すべてに問題があることがある。つまり、苦痛を感じるその人ただひとりが、真実であるということが。

 

 

もうこれ以上ためらうことなしに「アウトサイダー」は自覚すべきだ――わたしが他の人と違うのは、もっと偉大なものに運命づけられているからだ、と。そしてまた、詩人たるべく、あるいは予言者ないしは世直しの人たるべく運命づけられたものとして自分を考えよ。(アウトサイダー / コリン・ウィルソン)

 

 

再度述べておくが、学校、職場、家庭なんて小さな片隅でしかない。世界は広く、君の未来も同じくらい広い。