齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

武人と司祭の権力史

ニートとかホームレスの人たちって、時代が違えばちょー偉い人だったんじゃないの、という話。

 

 

近代社会が始まったのは、武人と神官の立場が逆転したときではないかと最近考えている。 

 

長い原始共産制から抜けだして人間に階級ができあがったとき、そこにあったのはふたつの特権階級だった。

 

つまり戦士と司祭。肉体に秀でる勇敢な人が戦士となり、頭脳に秀でる聡明な人が司祭になった。

 

簡単に現代的な分類を。

戦士タイプ。身体を動かすのが好き。嫉妬心が強く、人と競うことを好む。勇敢だが痛みに鈍感である。例:社長、軍人、政治家

 

司祭タイプ。外の世界より内面に興味がある。抽象的な思考を好み、鋭敏な神経を持つ内向型。例:宗教家、芸術家、研究者、ニート

 

 

ヴェブレンによれば、このふたつの特権階級が人類史初めての有閑階級、つまり「働かずに飯を食う人」で、残りのパンピーはせっせと働いて彼らを養った。

 

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司祭の方々

 

階級社会の誕生から近代まで同様の構造は維持された。中世ヨーロッパの王政vs教会とか、公家vs武家、インドのカースト制でもバラモンvsクシャトリアの関係がある。

ただ、カースト制にあらわれているように、だいたいの場合、司祭の方が戦士より偉いとされる。

 

これは自然なことで、ひとつの有機生命体を考えればよい。肉体がいくら強靭であっても、頭脳によって適切に使いこなさない限りは無用の長物だし、最悪破壊をもたらす(ヴェーダでは、司祭は頭、戦士は腕、市民は腹に例えられる)。

 

武人は権勢欲が強いため、暴走したときにそれ以外の成員が迷惑をこうむる恐れがある。よって司祭と武人、それに従う市民というバランスがあって共同体はうまく機能していた。

 

武人の台頭

ところが近代社会とは、この司祭の役割を担う人の地位が転落し、市民以下の位置まで落ちた社会である(と私は思っている)。

 

ヨーロッパでは近代社会の発展とプロテスタンティズムの勃興が関連づけられているわけだけども、プロテスタンティズムは教会や聖職者の権威を否定する宗派だ。

 

日本で言うと、廃仏毀釈がそれにあたるんじゃないのか。日本のほぼ国教だった仏教が解体され、中央集権化に都合のいい国家神道に置き換えられた。事実上の宗教の破壊である。

 

プロテスタンティズム国家神道だと月とスッポンなのだけど、とまれこういった圧力により「宗教の無力化」が起きた。それは事実上、司祭の権力を剥奪することを意味した。

 

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武人の方々

 

そんなわけで、武人がトップに立って市民や神官を支配する社会が生まれた。ちなみに武人は軍隊だけではなく、社長とか工場長にも向いている。権勢欲が強いから。同じ理由で政治家にも向いている。

 

で、武人タイプの人間に権力が集中した社会で何が起きたかといえば、世界大戦だった。もーみんなばたばた死んだ。そして資本主義社会。武人はお金や権力が大好きなので、みんなめちゃくちゃ働かされるようになった。

 

神官がトップにいないとこうなるってことだろう。村の長老の言うことを聞かず、腕力だけは一人前の若者たちが好き勝手したような状態だ。

 

抑圧される司祭

現代では司祭タイプの人は虐げられている。突拍子がないと思う人もいるだろうが、私はアウトサイダー系の人――ニートやひきこもり、精神障害者や犯罪者、芸術家やアナーキストといったひとびとが好きで、その理由は彼らがかつての司祭なのではないかと思っているからだ。

 

彼らが今の社会で抑圧され虐げられているのは、武人が彼らの存在を何よりも恐れているからだと思う。内気で繊細な生徒がスポーツ系の連中にいじめられるのはそういう理由なんだよ(てきとう)。

 

現代社会が寄る辺なく感じるのは、腕ばっかり発達して、頭がどこかへ行ってしまったような社会だからなのだろう。

 

 

……うーん。

なんかこれが今日ぱっと思いついて、すげー歴史論だ! って感じたのだけど、たぶん穴だらけの理論だから、もう少し煮詰めてちゃんと書きたい。

 

今日はこの本を参考にしたよ。

私有財産の起源は女性の独占にあった」など興味をそそるお話がたくさんです。