齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

いじめの心理―いじめっ子、傍観者、いじめられっ子

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「いじめ」について調べている。

 

なぜか。

日本社会はいじめによって成りたっているからである笑

 

ハラスメントは社会の潤滑剤のように扱われる。

 

いじめというと学校のいじめばかりのようだけど、ハラスメントも一種のいじめである。

セクハラ、パワハラアルハラアカハラ

 

最近になってようやく問題化されるようになったが、

あまりよくなった気がしない。

 

 

Wikipediaの「いじめ」の項は、分量としてはまあまあなのだが、インチキ社会学者などの引用があり信頼性が低い。

 

そんなわけで、英語版Wikipediaを調べてみたよ。

Bullying - Wikipedia

 

「いじめっ子」だと長いので「虐者」と書いています。

いじめっ子

嫉妬、抑圧された怒りがいじめの動機となるとされている。虐者の自己評価に関する研究は、はっきりとした結果は出ていない。虐者が傲慢でナルシストであり、いじめを恥や不安を隠す、あるいは他者への攻撃で万能感を得て、ナルシズムを増強するための道具としているとする報告がある。虐者は嫉妬や、自らが虐められるから虐めるとされる。心理学者のRoy Baumeisterは、容易にふくらみやすく、同時に破綻しやすい脆弱な自我を持っている人々がいじめを起こす傾向があるとしている。彼らは高い自己評価をもっており、彼らはしばしば他者からの批判や尊敬されないことに怒りを覚え、暴力や攻撃によって反応するのである。

研究者らは、その他のリスク要因を特定している。鬱病人格障害、易怒性や暴力傾向、攻撃行動への常習性、被害妄想、自己像を保持することへの執着、硬直した行動や強迫的行動である。ある若者についての研究では、反社会傾向と鬱病の組み合わせが暴力のもっとも大きな要因であり、テレビやゲームの暴力描写は彼らの暴力性とは無関係であると報告している。

いじめはまた、遺伝的素因や脳の異常による可能性がある。両親は幼児の感情的な抑制を発育させ、攻撃行動を制限することができるが、子どもたちの中には、家族との不安定な関係、不適切なしつけ、環境要因、ストレスの多い家庭生活や敵対的な兄弟関係によって、それらのスキルを発達させることができない者もいる。さらに、研究者の中には、虐者は否定的な態度を取りやすく、学業成績が悪いとする者もいる。Dr. Cookは「典型的な虐者は他者との共同作業に問題があり、さらに学業において失敗している」とする。家庭環境における摩擦や不適切な子育て、学校に対する否定的な態度、周辺の人物からの否定的な影響からくるネガティブな態度、他者に対する不信感、自己に対する否定感を持つ者が虐者になりやすい。

対照的に、虐者は対象を精神的に苦しめ、社会から阻害する一方で、心理的に非常に強く、教室内のおける高い社会的地位を得ることができるとする者もいる。取り巻きは虐者の駆動をしばしば助長させるが、これらの仲間グループは、互いに嘲笑、排除、暴力、侮辱などの行動に参加する。研究者の中では、虐者の中の少数派であるが、虐められた経験のない者は、学校へ行くことを楽しみ、病欠となることがもっとも少ないとする報告もある。

 

大人の虐者はコントロールと支配への強い欲求と権威主義的人格を持つことが示されている。下位のものへの偏見的なまなざしが強いリスク要因となることもまた示唆されている。

傍観者

しばしば、いじめはいじめを受けていない数多くの傍観者のグループのなかで行われる。

多くの場合、グループで観察されているいじめに対して「言葉に出す」ことにたいする恐怖のムードがあるために、虐者は大多数がいじめに賛同していると幻想を生みだす傾向がある。「いじめの心理」が初期段階で効果的に対処されていない限り、しばしばいじめがグループ内で受けいれられ、支持され、集団内の規範となることがある。

行動が起きるまで、「いじめ文化」はしばしば数ヶ月、数年、あるいはそれ以上継続する。

「友達グループ」「支援グループ」をつくることができる傍観者たちは、それを持たない人よりも、いじめ行為に対して声をあげる傾向がはるかに多いことが知られている。

傍観者が介入し、個々人の問題意識を上昇すべきだという明確な期待に加えて、いじめが道徳的に悪であることに基づく介入が必要であるという研究が増えている。

成人において、職場いじめの傍観者であることは特に女性において、鬱病との関係が指摘されている。

いじめ被害者

Dr. Cookは「典型的な被害者は攻撃的で、社会的スキルに欠け、否定的な考えを抱き、社会的な問題の解決に困難を感じ、ネガティブな家族、学校、共同体で生まれ育ち、仲間に明白に拒絶され、孤立化している」としている。被害者はしばしば肉体的に虚弱で、感情的にうちのめられやすい特性を持つ。さらにはいじめのターゲットとなりやすいような太りすぎ、肉体的変形など身体特性を持つことも多い。男の子はより肉体的虐めを受けやすく、女の子は間接的ないじめを受けやすい。

 

Cookの2010年にアメリカ心理学協会から出版されたメタアナリシスの結果では、児童期や思春期のいじめの原因、いじめる原因としてもそうだが、主要なリスクは社会的問題解決能力の欠如にあるとしている。

 

いじめられている子どもはしばしば肉体的、感情的なサインを示す。例えば、学校への登校を怖がったり、頭痛の訴え、食欲減退、学校活動や家族・友人との関わりへの興味の減退、全般的に悲観的な感情を抱く、といった例がある。

 

社会的問題解決能力ってなによ。↓

社会的問題解決は、社会的相互作用の中で「自己の人格的目的を達成するための自己主張及び自己抑制の過程」である(東・野辺地、1992)。(ここから引用

 

 

いじめられっ子は何者か 

いじめられっ子に関する記述がたいへんおもしろい。

 

日本では、いじめられっ子の性質について論議することが一種のタブーとなっている。

 

いじめに関する議論では、教育現場だけでなく、学者たちも

「いじめっ子が100%悪い!」

という感情的な主張が繰り返されており、「いじめられっ子」にどういう傾向があるかについてはまともな議論がされてこなかったように思う。

実際日本語版wikipediaにはいじめられっ子の傾向に対する言及はない。一種の言葉狩りのような状態が続いているのである。

 

いじめは、いじめっ子といじめられっ子の「関係」における問題である。いじめの実態をつかむためにはいじめっ子だけを調べても埒が明かない。その点英語版Wikipediaは充実していると感じた。 

 

いじめられっ子はPassiveではなくAgressive?

 

以下の記述はおもしろい。

典型的な被害者は攻撃的で、社会的スキルに欠け、否定的な考えを抱き、社会的な問題の解決に困難を感じ、ネガティブな家族、学校、共同体で生まれ育ち

攻撃的と訳したが、元は”Agressive”である。積極的とも訳せるだろう。

 

このCookの言葉は意外だ。

 

どちらかといえばいじめられっ子は”Passive”なイメージがあった

陰気で暗い少年がいじめられそうじゃないか。

 

でも考えてみると、「目立つ」子の方がいじめられやすいかもなーと思った。

なんか自分のことばかり話してくるうっとうしい人とか、

みんなで遊んでいるとどこからともなくやってきて楽しいムードをめちゃくちゃにしてしまう人とか、

そういう悪い面でAgressiveな人って、すごく嫌われる傾向がある。

 

友達がいなくて休憩時間に寝たふりしているようなボーイとか、

内気すぎて職場でだれにも話しかけられないような青年とかよりも、

そういう人の方がいじめられる可能性が高い。これはおもしろい発見だ。

 

終わりに いじめっ子といじめられっ子の同質性

全体の感想としては、いじめっ子といじめられっ子はある程度同質性があるということがわかった。いずれもマージナルな存在であり、社会的スキルや問題解決能力に欠けている。

人とうまくやっていけない者同士でいじめは起きるのだ。

ある程度、いじめっ子≒いじめられっ子ということができる。

 

 

いじめっ子はいじめられることの苦しみと恐怖を人よりも強く認識しているはずである。なぜならいじめっ子は、いじめられっ子だったことが多く、あるいは今後いじめられっ子に転落する可能性が高いからである。

 

そう考えると、いじめられっ子だけでなく、いじめっ子も同様にケアが必要だということがわかる。「いじめっ子を法的に罰すればよい」という考え方には、この点で大きな問題があると言えるだろう。

 

いじめという問題を解決するためには、いじめっ子、いじめられっ子双方の包括的なケアが重要である。

いじめっ子、いじめられっ子、両方を救わなくてはいけない。

 

 

「いじめる方が100%悪い」という主張は捨てよ

あとこれは言っておきたい。

いじめ加害者の責任を際限なく重くすることは、いじめっ子といじめられっ子が本質的には似通った存在であることを認識しづらくしてしまう。

いじめは悪だが、いじめっ子が倫理的に悪かというとそうとは言い切れない。環境や発育要因、あるいは遺伝や神経疾患といった要素が複雑に絡み合っている。

「いじめる方が100%悪い」という子どもじみた主張は、それらの複雑な現実をすべて放棄した幼稚な結論であり、「いじめっ子に対するいじめ」にもなりかねない危険を孕んでいる。

 

日本の教育界は、そういった感情的な主張はいい加減棄てるべきだろう。 

(もう棄ててたらごめんちゃい)