齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

日本型経営という幻想――家族経営は伝統か

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 日本型経営の特徴は主に三つと言われる。

これをもって、「日本のユニークで優れた文化」と考える人が多い。

 

素朴な日本の学者や、海外の「日本通」などは、日本の労使関係をさして「儒教」や「武士道精神」などの伝統があるものとし、あるいは「和」の精神、さらに日本人の意識の精髄のような「家」を反映しているものだ、としている。

さらに昨今の派遣労働や実力主義による雇用整理によって、「伝統的な雇用形態が解体された」などと言われることがある。

 

が、それは幻想である。

 

まず第一に指摘しておくべきことは、上のような制度は日本で一般化したことは決してなく、その最大の時期でも大企業のみに限られていたということである。

終戦以前のいかなる時期においても、日本の雇用は安定していなかった、とMIT名誉教授のジョン・W・ダワーは述べる。

 

 

一九三七年の日中戦争から四年後の真珠湾攻撃までのあいだに政府が実施した調査によれば、重要産業における転職率は驚くほど高く、転職は終戦の瞬間までつづいた。軍事政権が産業労働力をより強い規律と統制のもとに置くことを企図して介入したのは、こうした不安定さに対処するためにほかならない。かくして、一九三九年から四二年までに当局は、職場の無許可変更を禁ずる一連の布告を発した。そして一九三九年から四三年までのあいだには、労働者を職場にとどめるようなやり方で賃金構造の安定化を目指した、内容が濃くて詳細な法律や規制が矢継ぎばやに導入された。そのなかには、一定の初任給や定期昇給の明確な規定が含まれていた。政府がこれらの措置を講じた結果、「日本型雇用システム」の三本柱のうち二本――熟練従業員および半熟練従業員にたいする終身雇用および年功賃金――が一般的な慣行となった。これらとともに、実地訓練(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)の重視や家族手当などの補助的な社内福利といった、戦後の大企業における労使関係を特徴づける慣行も成立した。

 

日本型経営は戦中に生まれたものだった。

そしてそれは、民族的精神を反映する「文化的なもの」ではなく、官僚主導による経済合理的な政策だった。

 

大企業の戦後の雇用システムにみられる第三の特色――企業別労働組合主義――の起源については……かの悪名高い*産業報国会(産報)のもとにおこなわれた戦時労働力動員の組織的・思想的影響を無視することはいかなる場合においてもできない。産報は政府主導のもとに一九三八年に設立され、協調主義の理念、会社中心のやり方、「事業一家」というレトリックによって、全国八万七〇〇〇社の労働者およそ六〇〇万人を傘下におさめた。このようなイデオロギーへの執着が、過去よりも将来にたいして大きな意味をもつことになった。

産業報国会は、戦中の労組を完全に解体するために用意された、政府と軍閥による全体主義的な組織である。以下ブリタニカから引用。「第2次世界大戦終了まで7~8年間にわたって維持されたこの運動は,各職場における能率,作業時間,休憩,賃金,手当,配給,厚生施設,医療など,労働諸条件をめぐる問題が全国的規模で処理されることになり,これが戦後に始った労働組合の爆発的な発展に一つの歴史的遺産として引継がれることになった。戦前の生涯雇用,年功賃金,子飼い制度,常用工制度,企業内福利施設は,この産報の組織を媒介にして戦後へと継承される結果となった。日本の労働組合が独特の企業別組合として成長してきた一因もそこにある。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)」

 

日本人の会社中心の考え方、従業員の協調主義のルーツは、 戦中の産業報国会にあったというわけである。

つまり戦中のまさしくその時期に、日本人は「会社は家族だ」「滅私奉公」「職場の和を大切に」などといったイデオロギーを植えつけられたのであって、それ以前ではなかった。

 

結局それらは一個の神話、「偽りの伝統」でしかないのである。

 

 

日本的経営は存在しなかった

ところで、そもそも日本的経営は存在しなかったという説もある。

ありうるかもしれない。聖徳太子も存在しなかったことだし笑

 

もともと「日本人は企業の中で団結している」とされてきたのだが、エピソードやイメージに頼っており、実証的な研究がなかった。

経済統計による実証的な研究では、「終身雇用」「年功賃金」が事実ではない、あるいは欧米と大差ないと小池和男名誉教授(法政大学)は述べているようである。

 

 

 

この本は持っていないので、アマゾンレビューから引用。

集団主義:日本古来のスポーツ(武術)は剣道、柔道、相撲などすべて個人競技であり、チームプレイは発達しなかった。和歌の世界でも選者は1人であり、合議制ではない。日本人はその同質性故に集団内での競争という個人主義なのである。
 会社の査定でも上からA,B,C,D,Eとランクがあれば、それぞれに10%,20%,40%,20%,10%の人間を対応させる。これは明らかに個人主義だ。米国では訴訟を恐れるせいもあり、90%がB,Cの団子状態になるという。

・年功賃金:江戸の頃より、役人は役目に応じて石高をかさ上げされ、有能ならばどんどん昇進していった。これは商人も同じであり、明治〜戦前まで軍人も含めても同じで、有能なら一気に昇進し、高い報酬を得ていた。年功賃金は日本古来の風習でもなんでもない。

・終身雇用:統計を見ると欧米より日本の方が40〜50代で職を変えており、定年まで同じ会社で雇用される率は少ない。また、ブルーカラーの場合、米国では先任者の権利が強く、レイオフされる順番は後から入社した順だそうだ。

長時間労働:日本人は働きすぎと言われるが、そうではない。欧米ではホワイトカラーはそもそも労働時間を記入しない。高度な専門知識を駆使する頭脳労働者が時間で縛られるのは不自然だそうだ。したがって記録が取れるのはブルーカラーのみ。彼らと日本のサラリーマン(ブルーカラーとホワイトカラーが一緒くた)を比べたら、日本が長時間になるのは当たり前である。

なかなかおもしろい意見だと思う。気になるのは、剣道も柔道も明治以降の競技だから、「古来」の競技とはいいづらい。150年前を古というのならいいが……。

いずれにせよ日本人が「集団主義」というのは、心理学的実験によって否定されている。詳しくは東大教授高野陽太郎の発表を見よ→『日本人は集団主義的』という通説は誤り

年功序列についてはおもしろい。戦前が実力主義だったのは上に見た通りだろう。

 

まとめ 安易に神話を信じるな

会社は家族ではないし、それは幻想である。今日の記事の内容は、だいぶ平易である。Wikipediaに載っているし、池田信夫が似たようなことを主張する程度のお話である。「そんなの知ってるよ」という読者もいただろう。

 

私が本稿で訴えたいのは、「安易に神話を信じるな」ということ。以下のことは何度でも述べたいのだが、現代の「日本人像」や、「日本文化」、「日本の伝統」とされたものは、よくよく注意する必要がある。それは「創られ」、「押し付けられた」ものであって、自然なもの、本来的なもの、真実のものではないことが多い。

 

戦前戦中盛んに利用された「武士道」もそうである。

 

昨日図書館へ行ったら、以下のようなひどい記述を見つけた。

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このバカ丸出しの記述を見よ。タイトルは「日本文化のかたち」、著者は野島芳明というらしい。IQ80以下向けの本である。

 

しかしこれは例外ではない。図書館はこのような本で溢れている。ジョン・W・ダワーのような誠実な、実証的な本が置かれていることは稀である。そして実に日本人の大半は、このような考え方を盲信している。日本人は批判精神をとことん損ねていると言う他ない。

武士道とはなんであるか。少しでも真剣に考えれば、武士道などなかった、少なくとも武士道の起源である新渡戸の「武士道」は「トンデモだ」という結論に至るのが理性である。しかし日本人の大半は、見るべきものを見ない。自分にとって気持ちのよいことしか受けいれない。そしていったんそれが否定されると、子供のようにわんわん泣きわめき、議論を拒絶する。

 

目を覚ませ、日本人よ。