齟齬

社会とマイノリティの「齟齬」を描く御厨鉄のブログです。

「日本文化は日本人にしかわからない」という思考の危険

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カレン・ヴァン・ウォルフレンの「民は愚かに保て」という本を読んでいる。すでに四半世紀以上前に出版された古い本だが、ナイスなタイトルなので購入。

 

 

たびたび日本人は、「私たちは他の民族と違う」「世界でもっともユニークな文化」と自称する。しかしそれはほんとうだろうか?

以下の記事にあるようなMartin Basinger氏の考え方に触れると、彼の「日本は韓国や中国、そして北朝鮮とも同類の国」という意見がほんとうのように思えてくる。

 

mikuriyan.hateblo.jp

 

たとえば私たちは、先進国のメジャーな国については「国の違い」を認識しているだろう。フランスは軽佻浮薄だ、ドイツは真面目だ、といったふうに。

それではフィリピンとインドネシアはどうだろうか?

スウェーデンデンマーク、オーストラリアとニュージーランド

チリとアルゼンチンといった組み合わせはどうだろうか。

 

提起しておいてなんだが、地理に疎い私なんかは「大して変わらないんじゃねーの?」と思う。それと同じ感覚で、「日本と韓国」「日本と中国」も文化的に大きな違いはないのではないか、と最近の私は考えている。

それではなぜ私は「日本は特別で、優れた高度な文化を持っていて、その文化は外国人には理解できない」などと考えてきたのだろうか? そして多くの日本人がいまだにそう信じているのだろうか。

 

ドイツ人のMartin氏から少し離れて、オランダ人であるウォルフレン氏の目線から見てみよう。p.61以降から引用。強調は引用者による。

 

 来日以来数十年が過ぎたが、「あなたにはわからないでしょう!」と言われたときのことは、今なお鮮やかに記憶している。異議を唱える私に、「日本人でないあなたに、わかるはずがないでしょう!」と判を押したような返事が返ってくる。そして、この言葉が出ると、話は唐突に終わりを迎える。

 

 日本の物事をテーマにした対話を閉じることにかけては、この言葉ほど効果的なものはない。そして日本に来るまで、こんなやり方があるとは知らなかった。インドでは私の意見はさまざまなタイプのインド人と激しくくい違った。それでも、インド人の誰ひとりとして「あなたはインド人ではないから、理解できないのだ」との論法で、私の発言を封じた者はいなかった。フィリピンでも同じだった。

 

 こうした場面にさしかかると私は、「は~ン、相手は議論から逃げようとしているナ」とピンとくる。これは私が相手を追求できなくする「秘密の抜け戸」を使った雲隠れ遁走術である。

 この術に出会うたびに私は映画『大脱走』を思い出す。自己の社会的役割について深く考えることからの逃避、ないしは現実に直面することからの逃走である。

 

 文化の誤解は意図的に作り出すことができる。あるいは、誤解がすでに存在している場合は、しばしば政治的な目的に利用される。(……)シンガポールリー・クアンユー前首相は(……)独裁支配を受け入れやすくするため、国民に非西欧文化的特徴を強く訴えた。

 北京の支配体制は、中国人市民の自由への渇望を徹底的に無視し続けているが、常に文化による誤解を利用する。韓国の朴正煕大統領は経済的奇跡を推進したが、一方では独裁的支配者として政治的不満分子を厳しく取り締まるために、古来の伝統に訴えた。

 彼らはすべて自己の目的に適う政治的条件を維持するために大がかりに誤解を利用し、あるいは創り出してきたのである。どの国であれ、権威当局が「文化」を語りはじめ、そして「外国人はわが国の価値ある文化を理解しない」と主張しはじめたときは、警戒しなければならない。その理由は、彼らが独裁的なやり口を偽装したり、組織的な搾取、法の悪用、脅迫その他野放しの権力濫用を試みようとしている公算が大きいからである。

 

広く社会や政治面における日本人の生活が、詳しく吟味検討されることはなく、最初から「文化的に決定されている」として正当化される。これは、この問題に関して私たちは口をつぐむべきであり、決して疑問を持ってはいけないということだ。つまり、日本人の社会的、政治的生活を根本において規定している決定要件は、政治制度の健全さを保つうえで必要不可欠である綿密な吟味や、批判の枠の外に当然のごとく追いやられているのである。

その例として、ウォルフレンは労組の腐敗、サラリーマンの企業への「忠誠」、消費者に不利な流通システム、外国製品の締め出しなどをあげている。

以上、ここに述べてきたことと、他の多くの日本の生活環境の疑わしいもののすべては、”人為を超えた神聖なもの”として考えるべき文化の成果のように描かれる。批判や否定的な発言をする余地は皆無との感を人に抱かせるのだ。

 

*文化の誤解=cultural misunderstandingの訳だろうが、日本語だと違和感がある。

おもしろくわかりやすいcultural misunderstandingの風刺画。

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「「目を除いてすべて覆われている/何も覆われていない。なんて残酷な男性支配文化だろう!」」

 

「日本固有の文化」という為政者に都合のよい思考停止回路

以上をまとめると、私たちは社会生活における理不尽さや、不当な搾取に直面するときに「これが日本文化だから」と考えることによって思考停止するようになっている。この条件反射はマスコミや教育によって無意識に刷り込まれているようだ。

したがって外国人が日本人のおかしな駆動について「それっておかしいんじゃないの?」と指摘したときにも、「これは日本人以外には理解できないよ!」と反駁する理由なのだ。実際には外国人の指摘が正しく、日本人が間違っていることがほとんどである。しかし、それではアイデンティティが保てない。「自分のしていることさえわからない」ことが露呈する。それではまるでバカだ。だから「あなたには理解できない!」と関係を断絶しようと試みる。

  • 先生に体罰を受けた? 「これが日本文化だ!」→思考停止
  • いじめられた? 「これが日本文化だ!」→思考停止
  • 幸福度ランキングが低い? 「これが日本文化だ!」→思考停止
  • 運転免許に30万円? 「これが日本文化だ!」→思考停止
  • 官僚が天下る?  「これが日本文化だ!」→思考停止
  • 企業が談合する?  「これが日本文化だ!」→思考停止
  • ヤクザが消滅しない? 「これが日本文化だ!」→思考停止
  • 残業代が払われない?  「これが日本文化だ!」→思考停止
  • 上司にパワハラを受けた? 「これが日本文化だ!」→思考停止
  • 過労死が起きた?  「これが日本文化だ!」→思考停止

こうして私たちは、スイッチを切られたロボットのように思考をストップさせる。あまりに日常的であるし、国民的でもあるので、ふつう自覚されないが。

「switch off」の画像検索結果

 

最近の事例ではこうだ。

過労死自殺が起きても、世論は「企業が悪い」とばかり論じている。「自殺するほど仕事をする異常なメンタリティ」についてはほとんど言及されない。それどころか「まじめに働いていた」などと賞賛すらされる。なぜなら「労働者は死んでも働け」というのが支配層の本音であって、庶民はそうなるよう教育されており、「勤勉でまじめな優れた日本人」をその哀れな犠牲者に見つけているのである。

 

「日本文化」へ導く思考回路には、一般法則がありそうである。集団や権力者による個人や弱者の権利侵害や搾取が起きたときに発動するようだ。ウォルフレンのあげた労組腐敗やサラリーマンへの忠誠もそうだが、政治に対する無関心、デモに対する批判的態度、目上の人間に対する過度の従順さもそうだろう。

 

たとえば戦国時代の武士は、雇い主である大名が彼の武功を評価せず、十分な報酬を与えないとなればすぐに他の大名のもとへ行ってしまった。個人主義的かつ実力主義である。当時一般的だったこのような態度は、決して「日本文化」と見なされない笑 都合が悪いからである。

 

長くなったからそろそろ終わりにしよう。「私たちの国は特別な文化を持っていて、だれにも理解できないんだ!」と下々に思わせることは、特権階級にやりたい放題させる上でとても都合がいい、ということだ。その「文化」とは、おうおうにして為政者に都合が良いものでしかない。ネットで同じようなことを公言している人は、怪しい壺やけばけばしいイルカの絵画に注意した方がいいだろう(今もラッセンなのかな)。

 

これが最後の最後。ウォルフレンの以下の記述を再度引用。これは特に注意しなければならないと私は思う。ここ数年で起きていることだからだ。

どの国であれ、権威当局が「文化」を語りはじめ、そして「外国人はわが国の価値ある文化を理解しない」と主張しはじめたときは、警戒しなければならない。その理由は、彼らが独裁的なやり口を偽装したり、組織的な搾取、法の悪用、脅迫その他野放しの権力濫用を試みようとしている公算が大きいからである。

いやはや、四半世紀前からわが国は一歩も前進していないようである^^;