日本の子どもは宇宙一うるさい生き物である。→元気イデオロギー

タイから帰国してビビったこと。

 

子どもがうるさい!

 

帰国して二日目、図書館にいるのだが、子どもがギャンギャン喚いている。

 

私はうるさい子どもが嫌いだ。なんとかすべきだと思う。

 

「子どもがうるさいのは当たり前だ」と言う人がいるだろう。

 

いや、これは明らかに異常な事態だ。

 

なぜって日本以外では、かようにうるさい子どもを見かけたことがないから。

 

しつけのなっていない犬と同レベルか、それ以上にうるさい。

 

人間の声は犬の鳴き声より耳障りである。

 

「ママーーーーー!」だの

歌い出すガキだの

泣き叫ぶ奴暴れだす奴

普通の会話でさえvolがmaxの奴

 

ああうるせえええええええと叫びたくなる。

 

なぜなのか。

 

なぜ日本の子どもはこんなにうるさい生き物なのか! 

 

元気を重要視する社会

 

我々の日本社会では、たとえ元気があろうとなかろうと、元気よくあることを国是とするイキフン(雰囲気)がある。

 

お歌の時間を考えてみよ。

幼稚園児はどのように歌うか。

美しく、楽しく歌うのではない。

 

ギャンギャン喚けば喚くほど、先生が「よくできました」と誉めるようにできている。

 

どのように芸術的な歌唱だろうと、元気がなければ先生は顔をしかめる。「もっと元気よく歌いましょう!」

 

不思議なことに、これは全国共通であるらしい。

このような歌はもはや歌とは言えない。単なる絶叫である。

 

挨拶も同様である。

 

子どもが落ちついた口調で「先生、こんにちは」と言うことは許されない。

 

幼稚園の先生はそういう子どもを気味悪がる。

 

「子どもは元気であって欲しい」と思っているし、

「子どもを元気よくする」のが自分の使命だと考えているのである。

 

子どもは精一杯、声帯がつぶれんばかりの声で「こんにちはー!!!!!!」と叫ばなければいけない。

そうするよう教育される。

 

当然、子どもが悪いのではない。社会システムの異常なのである。

 

子は大人を見て育つ

 

大人社会においても幼稚園と同じようなことが起きている。

 

軍隊は気分が悪くても「気をつけ」をしていなければならない。軍歌を精一杯歌わなくてはならない。調子が乗らなくても敵陣に突撃しなければならない。

 

こういった軍隊的規範は、日本社会全体に広がっている。

 

会社員は体調不良が許されず、つねに元気でなければならない。

 

「風邪を引いたから休みます」は許されない。

 

これは雇用関係としては異常である。軍隊的である。

 

一日12時間働こうと、低賃金だろうと、身体が弱かろうと、仕事がつまらなかろうと、つねに「元気よく」いなければいけない。それが日本の社会人である。

 

一流企業であっても知的エリートよりむしろ愚直な体育会系を好むのはその一例である。

 

日本の企業文化はサムライ文化だ……と言えばかっこいいが、富国強兵政策のような軍国主義の名残だと私は思う。

 

日本の企業文化を江戸時代まで遡ることは難しい。

 

農民は重税にあっては打毀しなどで抵抗し、あるいは山に逃げ込んでサンカ(流浪の民)になり自由を謳歌した。

 

明治政府の国体思想から日本人はおかしくなった……と私は考える。

 

軍国的教育が子どもの絶叫を生む

 

「元気」を国是とする風土が子どもの絶叫を生んでいる。

 

我々はみな、子どもは元気であればよいと思っている。

 

日本のアニメもそういった国家の装置となっている。

 

日本のアニメの登場人物は、とにかく叫ぶ。叫ぶ。

 

うおおおおお、だの、きゃああああだの、叫ぶ。子どもはそれを真似する。

 

(私が言う軍国主義とは、サヨクの言うような「好戦的国家」という意味ではない。国民を軍隊的に統治するシステムのことを指している。つまり個性を潰し、トップダウン型の命令が絶対で、逸脱者や離反者、反逆者を徹底的に許さないという文化である。私はこういったシステムが形成されたのは明治維新以降だと考えている) 

 

元気のない子どもを愛せよ

 

子どもは何も、好きだから叫んでいるのではない。彼らは小さな弱い身体で生き残るために必死なのである。

 

「元気」でなければ見捨てられるかもしれない、という恐怖が彼らを追い込んでいる。

 

元来「教育」の働きとは見捨てられ不安を駆動力とするものである。

 

勉強ができなければ捨てられる、愛嬌がなければ捨てられる。そういう恐怖に偽りの自己を成育させた幼少経験を持つ人は少なくないだろう。

 

友達が少ないことを気に病んだり球技ができないことに絶望したのではないか?

 

叫ぶ子どもは、「元気でなければならない」と神経症的に固執している。

 

それは楽しいからではない。命をかけた叫びなのである。

 

母親はなぜ絶叫する子どもを注意しないのか。

「元気」イデオロギーを理解しているからである。

母親の子を想う気持ちもまた強烈である。

 

なぜ公共の場で絶叫させてはならないのか?

それは国家の要求ではないのか?

 

彼女たちの無意識はそう理解しているのである。

 

図書館で静かに読書する子どもは悪であり、

図書館で絶叫する子どもは正しい

 

 

国家の不文律は確かにそういっている。

 

むろん一般的に教養のない彼女たちはこのことを表面では理解していない。

だが母親の本能はこの権力の働きを理解している。

 

ゆえに、悪びれない。注意しない。

一見不可解な彼女たちの行為は、ある種の鋭い本能の結果である。 

 

日本国民は幼稚園がうるさいのを我慢しろ、と言っているのである。

 

呆れた話である。うるさいものをうるさいと言ってなにが悪いのか。

なんの権利で個人の権利と健康を害するのか。

 

しかし今ではその権利は明らかになった。

 

子どもの声を我慢しろ、とは国家的要請である。

 

国家的要請の前に個人の健康や権利などは鼻くそ程度の力しかない。

 

これは射撃場がうるさいのは我慢しろ、と軍部やマスコミに圧力をかけられた大戦中の地域住民と同じである。ファシズムである。

 

とりあえず我慢するしかない

 

しかしである。それにしてもうるさいのである。

 

おっさんはどのように適応しようと思ったか。

 

ノイズキャンセリングヘッドフォンである。

それにsimply noiseというサイトでホワイトノイズを流すのである。

 

私の騒音対策の十八番である。

 

しかし悲しいことに、Boseノイズキャンセリングは、

人間の声をキャンセルしないようにできている。

 

さすがアメリカ企業である。

 

アメリカでは子どもが静かなのである。

大人も静かで、遠くにいる人を呼ぶときに絶叫するようなことはしないのである。

電車の中もバスの中もうるさいアナウンスがないのである。

 

なんだか泣けてくる。

 

 私はこの国はアホだと思っている。

できれば脱出したいと思っている。

 

うるさいのが我慢ならないのである。

でも、日本という国は好きである。

 

日本がピンチになったとき、真っ先に日本を助けるために駆り出されるのは

「元気に叫ぶ」子どもたちである。

 

たぶん軍人としては優秀なのではないかと想う。

 

そう考えると、なんだか複雑な気分になってくるおじさんであった。