憂鬱と孤独は音楽を美しくする

体重が56kg → 音楽が美しい

体重が58kg → 音楽がnoisy

 

2kgの脂肪によって感受性が鈍るらしい。

 

修行僧などはだいたい痩せっぽちのものだが、感受性を極限まで高める必要があるからだろう。巫女にせよ、預言者にせよ、痩せていない宗教家は信用ならない。(キリストが小太りだったら嫌でしょ)

 

また人間の間にあると音楽はよく聞こえなくなるようである。人間の間といっても、都会より田舎の方がいいというわけではない。ある程度精神的な負荷、ストレスがかかっている状態の方が、人は音楽をより深く味わえるようだ。

 

考えてみると東京にいたときは音楽が骨身にしみたものだった。新宿から帰りの電車とかね。都会の大きさに怯えながら、都会の欺瞞に反感を抱きながら聞いた音楽は、鮮明で強烈だった。

 

田舎に住みはじめて、あまり音楽を必要としなくなった。仕事仲間ができて、それなりに気分が安定していたから。ただやっぱり、嫌なことがあったときは音楽の救いを求めた。「泣ける曲」を探し求めるのである。

 

ミヒャエル・エンデの「モモ」では、少女モモが「時間とは、静かな音楽なんだわ!」と気づくシーンがある。時間が音楽であれば、音楽もまた時間なり。時間こそ傷を癒やしてくれるものだ。

 

時間に浸るための音楽というものがある。ただじっと時間だけを味わうための音楽。音よりも、かえって静寂を求めるための音楽。そういうものがあってもいいと思う。