生きるのがヘタクソなおじさん

中二くらいだな。

 

何がっていうと、人生の岐路だ。

 

人生の岐路は中二にあり。

 

私は中二のはじめに精神病を発症した。それから地を這うような日々を過ごした。一方で、中二になっても中三になっても平気で人生を過ごせる人がいる。

 

彼らの大部分は、とくに社会に疑問を抱くことないまま、まっとうに仕事を続けて、結婚して子どもをつくっている。死ぬまでそんな感じだろう。ニコニコ。わいわい。ガヤガヤ。

 

高校生のとき、同級生の一人がこう言ったことが忘れられない。

 

お前は、生きるのがヘタクソなんだよ」。

 

まあたしかにそうかもしれない。私はといえば、這いずるように大学を出て仕事に就いても、たった二年で辞めてしまう。ニートとして転落する未来が待っている。

 

生きるのがヘタクソ……たしかになあ。

 

14歳からずーっと、「普通の人」に憧れていた。私もワイワイガヤガヤしたい。仲間にいれてくれーと思った。そんで空回りしたり。

 

いまはぜんぜん憧れない。社会がクソということに気づいたからだ。社会がクソなら、それに適合できない方に理がある……と考えてもよいだろう。

 

私が哲学を学んでよかったことは、社会はとんでもないクソで塗り固められていることを教えてくれたからだ。

 

資本主義はクソだ。民主主義はクソだ。学校はクソだ。医療はクソだ。国家はクソだ。警察はクソだ。

 

なんてこった!学べば学ぶほど世の中が嫌になってくる……。

 

私は満足した豚ではなく、不満足なソクラテスを選ぶ。いや、私には選択肢がなかった。

もうこれは強制なんだよ。参った。

ブロガーが嫌い。

ブロガーが嫌いだ。

 

検索でひっかかるとうっとおしい。

 

 

検索でひっかかっただけなのに、

 

広告をべたべた貼って金をかすめていく。

 

あわよくばAmazonで買ってね!と、こうくる。

 

ぼくってちょー天才なの!ぼくの生い立ちを知ってね!と醜い自己主張をする奴もいる。

 

 

ブロガーは反論するだろう。「お前からは一円もとってねーからな!

 

 

しかしブロガーは読者に暴力を与えている。

 

意味がわかるだろうか。

 

 

広告とは何か。

 

広告は、大衆を消費者にかえるものだ。

 

 

テレビはなぜ無料か。

 

それは、広告会社が依頼主に「消費者」を提供するからだ。

 

人間を消費者に作り変えて販売する。

 

 

ブロガーの金稼ぎも、同じことだ。

 

彼らは消費者を生み出し、企業に渡す仲介屋だ。

 

 

生産的行為ではない。

 

人間性を貶めるからだ。

 

 

「そんなのブロガーだけじゃないだろ!」

 

と言うだろう。

 

そのとおり。

 

 

私はブロガーが嫌いだし、

 

それだけではなくテレビも新聞も医療も教育も警察も自衛隊も国家も大嫌いだ。

 

だから、ブロガーを特別嫌っているわけではない。

 

しょせん、世の中の99%はバカだ。

 

ブロガーもその仲間の一人ということを指摘しているだけだ。

世界に抱きしめられたい

おっさんは抱きしめるに値する。

 

みんな抱きしめてちょーだい。

 

金が欲しい。月に10万円の生活が保証されていれば、おっさんは哲学的思索にふけることができる。

 

だからおっさんにみんな金をくれれば良いと思う。

 

考えてみてくれ。哲学書が好きな奴って稀有だろ。

 

おっさんみたいに30歳近くでカントだのラカンだの読みたい奴って周りにいるか?

 

いないだろ。

 

哲学が好きすぎて仕事辞めるとかアナーキーだろ。理系出身のくせにだぜ。

 

これがおっさんの希少価値だよ。

 

いい年して哲学funboy。しかも生活実践型なんだよ。

 

ルソーが自然に還れっていうから還っちゃったんだよ。

 

おっさんは抱くに値するんだよ。だれか10万円で飼ってくれ。

マロニエの木

ニートになると世界が変貌していくよ。

 

コンビニ店員が、自分と遠い存在に感じられるよ。

 

自分は寄る辺もなく風にふかれるたんぽぽの種のように感じられるよ。

 

世界があくせく動き回っているのを、空から眺めている気分になるよ。

 

みんな毎日仕事をしているお疲れ様。

 

ぼくは自由で、自分だけ透明人間になったみたい。

 

壁を越えて、こっち側にきたんだな、と思うよ。

 

 

 

毎日何をしようか考えて、ゆっくり考えて、自分の好きなことをして、おしまい。

 

空を見上げ

 

花と語らい

 

猫と戯れ

 

海に抱かれる

 

こりゃ~もう戻れないかもね~。what a beautiful world♪

おっさんはニートになった

ニートになって3週間目くらい。

 

毎日本を読んでネット見て酒飲んで寝て、といった生活。

 

うーん、これでいいのか?

 

もともと知的な関心を伸ばそうと思って仕事を辞めた。学校へ入ろうというのではなくって、哲学書などをがっつり読んでみたかったのだ。

 

仕事してるとヘーゲルやカントなんてとても読めないからね。

 

知識をひたすら修養していきたいと思った。ゆくゆくはその知識で食っていけたらな~と思っていた。

 

ただね。知識だけじゃ食っていけないんだな~。やっぱり。

 

知識があれば、生活は充実するけれども、必ずしも金と結びつくかというと……

 

賢人だの聖人だの、とことんカシコイ奴って偉くなっても金持ちじゃないでしょ?

 

知識も行く所まで行くと、金を通り越してしまう。

 

おっさんもある時期までは「金を稼いで大成しよう!」と思っていた時機があった。

 

でも最近は、毎日静かに本が読めればそれでいいや~と考えている。その生活は、仕事をやめて、貯金がある今、確実に達成できるんだよね。

 

じゃあ、本を読むだけ読んで、それからどうするの?と人は問うかもしれない。

 

し~らない(笑)

 

今が楽しく生きられればいいよ。将来のために今を犠牲することに疲れたんだ。

おじさんはレールから降りた。まあこの豊かな国で、餓死するってことはあるまい。

 

 

 

 

吾輩is a neet.

おっさんは今ニートなのだが、何だかんだいってどうにかなると思っている。

 

おっさんが今していることは、哲学書を読んだり、物を書いたり、猫に餌をやったりバイクでウィリーの練習をしたり、ということだ。

 

ウィリーや餌やりが一円にもならないことは知ってるけど(だからこそ楽しいのだ)、哲学の修養、執筆という行為は生産的であるという気がしている。

 

私がしたい試みは、生産手段の内面化である。資本家は工場や会社をもっているから労働者を使役できるわけでしょう。私は、雇用、被雇用の関係にうんざりしているのだよ。だから自分の頭脳一本で食っていけるように、知識の修養をしているわけ。

 

うーん、食っていくためと書くとなんだか下賤だ。

 

もっと重要なことのためにニートになった。自分のためだけに人生を費やしたいのだった。私は別にエゴイストではないし、自分が一人だけで生きていけるとは思っていない。しかし資本家のために働くというのは、気分が悪い。私が尊敬する人、恩義を感じる人のためなら働くことはできるが、たまたま金持ちとして生まれて、支配階級として育った人間のもとでは働きたくない。

 

自分の銭をわけてやりたがる者は見当たらないが、生活となるとだれもかれもが、なんと多くの人びとに分け与えていることか。

セネカは2000年以上前に書いた。

 

まあね、自分本位に生きようと思えば生きられるんですよ。なんたって日本は、自然が豊かだからね。米と野菜つくれば生きていけるやんけ。実家が農地もってると、将来の不安がないわい。

 

憂鬱と孤独は音楽を美しくする

体重が56kg → 音楽が美しい

体重が58kg → 音楽がnoisy

 

2kgの脂肪によって感受性が鈍るらしい。

 

修行僧などはだいたい痩せっぽちのものだが、感受性を極限まで高める必要があるからだろう。巫女にせよ、預言者にせよ、痩せていない宗教家は信用ならない。(キリストが小太りだったら嫌でしょ)

 

また人間の間にあると音楽はよく聞こえなくなるようである。人間の間といっても、都会より田舎の方がいいというわけではない。ある程度精神的な負荷、ストレスがかかっている状態の方が、人は音楽をより深く味わえるようだ。

 

考えてみると東京にいたときは音楽が骨身にしみたものだった。新宿から帰りの電車とかね。都会の大きさに怯えながら、都会の欺瞞に反感を抱きながら聞いた音楽は、鮮明で強烈だった。

 

田舎に住みはじめて、あまり音楽を必要としなくなった。仕事仲間ができて、それなりに気分が安定していたから。ただやっぱり、嫌なことがあったときは音楽の救いを求めた。「泣ける曲」を探し求めるのである。

 

ミヒャエル・エンデの「モモ」では、少女モモが「時間とは、静かな音楽なんだわ!」と気づくシーンがある。時間が音楽であれば、音楽もまた時間なり。時間こそ傷を癒やしてくれるものだ。

 

時間に浸るための音楽というものがある。ただじっと時間だけを味わうための音楽。音よりも、かえって静寂を求めるための音楽。そういうものがあってもいいと思う。